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#北海道胆振東部地震

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  1. なってぃ

    あの日から1ヶ月。ローカルのテレビでは検証番組をやっている。全停電=ブラックアウトは何故起きたか、とかね。生活は、特にスーパーの品揃いは以前と同じくらいに戻ったかな。閉店間際の売り切れは仕方ないにしても、入手に困るようなものは何も無くなった。未だ販売制限がかかるのは電池パックお一人様1組限り、だけに見える。
    実は余震はまだ治っていない。昨日10/5も朝っぱらから余震があった。震源地に近いところでは震度5弱、札幌でも震度3はあった。会社でしばらく揺れが治らない状態にしばし手が止まる。家族、母はこの日は人がいっぱいいるところにいるので安心。
    この期間も、自宅が心配なことには変わり無いが、イベントには何とか参加してきた。元から予定していたもの、運良く当たったもの。行けば行ったで楽しい時間を過ごすことができる。舞台はメンバーの活躍が見えたし、劇場公演も特別配信も日常から離れた特別な時間と空間だった。空路遠征組だから、回数を絞って行けるところしか行っていないが、それでも自分の活力となっていることは事実。よくメンバーが何もお返しできていないと言っているけど、先に元気をもらっているのはこっちの方だ。逆に、首都圏ファンに比べて、メンバーに何もしてあげられていないな、とも思う。申し訳なさ、極まれり。
    10/21、幕張見参予定。

    #北海道胆振東部地震

  2. なってぃ

    (分割2/2)

    お昼前、再び、姉夫妻がお昼用に調理したものを持ってきた。ただ、この時、母親を気遣って、姉のところに一時的に避難することを提案される。電気が付くし、TVも見れる。この提案に自分も乗っかって、二人揃って姉夫妻のところに移動。そこで昼食も夕食もとることに。合わせて、スマホ、タブレット、ポータブルバッテリーに全てフル充電。普通の市民は充電スポットに行列をなすくらい、電気がなくて困っているのに、自分は運が良かった。ちなみに、使えるものは何でも、と言うことで、フル充電したノートPCからポータブルバッテリーに逆充電したりもした。

    地下鉄は、14時過ぎから再開との見通し情報があった。ただ、試運転が先で営業運転がいつからかは不明だった。結果は15時頃から全線で再開したとのこと。その時点で会社に行っても、停電で日没までの作業ならほとんどいる時間は短い。連絡を取ろうにも電話は通じず。

    姉のところに今日は泊まろうかと色々算段している最中にも自宅の電話をチェック。呼び出し音が鳴れば通電中の目印になる。20時過ぎ、その呼び出し音が鳴り、停電からの復旧を確認。一休みして自宅に戻ることに。

    20時半、自宅に戻る。停電前はこうだったっけ?と言うくらい、照明が点いていた。

    一息ついて、荷物を整理して、ひだメール返しをうつ。そして、このメモ書きも。

    影響はまだ終わっていない。冷蔵庫はほぼまる2日、停電状態だった。中の食物はほぼ全て処分せざるを得なかった。電気が復旧しても、冷蔵庫は冷えるまでに1日かかる。9/8土曜日に買い物した分は冷蔵庫に入れることができない。9/9日曜日に買ったものからとなる。9/9に果たしてどこまで食品製造と流通が復帰しているだろうか。

    教訓。備えあれば憂い無し。ロウソクは意外に役に立つ。ノートPCからでもバッテリーに充電はできる。オール電化は停電時を覚悟せよ。
    もう一つ。マンションは給水槽に水を汲み上げるためにポンプを使う。その動力源は電気。なので、隣の1軒屋が水OKでも、マンションは断水、ってのは普通の話。

    #北海道胆振東部地震

  3. なってぃ

    (分割1/2)

    ちょいとメモ。
    3/6の朝3時過ぎに揺れが始まって目を覚ます。当時はリビングで寝落ちしていた。起きた時、あたりは真っ暗、もちろん停電突入だから。スマホの懐中電灯機能を使って、母親の寝室まで行って安否確認OK。

    そこから母親がトイレに立つ度、スマホのライト利用する。自分はもはや寝る気なし。当時、スマホ、タブレットはほぼフル充電状態、他にポータブルのバッテリーが2基、これもフル充電済み。
    ラジオが手元になかったけど、スマホでradikoを聞きながら、情報収集。朝5時過ぎに空が白み始める。この時はまだネットに普通につながった。

    停電で交通機関が麻痺、地下鉄も動かない。となると会社への移動手段がない。その時点で、新千歳は全便欠航、JRや地下鉄、市電も運行の目処立たず。

    8時過ぎ、会社に休暇の連絡を入れてみたところ、この時は何故か電話が通じた。会社もロッカーが倒れて大変だけど、移動手段が無いのでと言うと、仕方ないな、との一言。

    前後して、レフトフレンズの方から気遣いの連絡。建屋は無事だし、水もガスも出る。無いのは電気のみ。食料もインスタントものはそれなりにあって調理可能。無事と言えば無事だけど、影響は?と言われると、影響あり、超軽めの被災者かも。

    その後、8時半過ぎてネットにつながり難くなる。radikoが聞けない。ただ、停電が続いていれば交通機関が動かないから、会社に行きようが無い。

    お昼過ぎ、すぐそばの小学校が避難所になっているのに気付き、様子を伺いに行く。まだ人は集まっておらず。食料は簡単なご飯と飲み水のみ。トイレは和式で高齢の母親にはしんどそう。水も学校は貯水槽利用で、通電しないと各所から水が出て来ない。なので、手動で貯水槽の蛇口から水を汲み出し、バケツに貯める方式を採っているとのこと。どこまで行っても電気、電気。夜間の照明もランタン利用とか。寝る場所からトイレまでの距離、トイレの不自由さから、自宅にいた方が負担が少ないと判断。自宅が強固で崩れる心配がなかったのも心強い。

    そうこうしているうちに、15時過ぎ、夕刊が届く。わずか1枚4頁、よく印刷できたもんだ。ここで初めて今回の北海道胆振東部地震の実態を知る。こんな…、そんな…、と。

    夕方16時頃、少しでもお腹に入れないと、って、カップ麺にお湯を入れて母親と二人で食べる。

    夕方17時頃、姉から母親に電話が入る。母親の電話は機能がベーシックで、停電時でも発信は不可でも着信は可能。知らない人がいるかもしれないが、NTTのメタル回線は電力線とは別に48V系の電源が重畳されている。自分の電話は光回線で、商用100Vが来ないと光ルーターが機能しない。姉と話をすると、同じ札幌市内でも姉のところは一足先に電源が復旧したとのこと。

    夕方19時過ぎ、姉夫婦が夕食用に調理したものを持ってきてくれた。ありがたいことだ。こっちは食材があっても、停電の不安で台所に立つ気がほとんどなかったので。

    日が暮れる前に、ロウソクに火を灯す。仏間には仏壇があって、ロウソク立てもあったけど、そこに使うようなロウソクばかりではなく、何故こんな、と思われるくらい長いロウソクがあった。結果的に、そのロウソクは1本で燃焼時間9時間以上。これをリビングと母親の寝室に1本ずつ。もちろん、そう簡単に倒れないように、ロウソク立てへの固定とロウソク立て自体の固定を施して。倒れて火事になったら話にならない。あとは、懐中電灯が一つ。簡単に点灯/消灯ができ、トイレに置いて用を足せる。

    夜中もあまり落ち着いて寝られない。かと思えば、気がついたら2時間経っていたとか。やっぱりどこかで疲れているんだ。

    日が変わる。9/7の5時過ぎ、空が白みかける。もうちょっと経てば、ロウソクの用は終わる。朝食は、昨夜、姉が持ってきたものの残りを食べる。が、あまり食が進まない。

    朝刊を読む。震度6強から震度7に訂正されている。ここまで来ると、感覚も想像力も追い付かない。

    8時過ぎて、会社に電話を入れようとしたが、この時は機器の電源が入っていないとかで連絡できず。行くとも休むとも伝えられず。この状態は夕方18時近くまで続く。

    午前中にネットの状態がかなり復旧し、再びradikoを聞けることに。この時点で空の便は午後から、新幹線も午後から、地下鉄はお昼過ぎから再開予定との情報。昼からなら会社に行けるのか、と。

    #北海道胆振東部地震