橋場日月橋場日月2023年06月23日 19:24和田裕弘先生から御新著『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』を御恵送いただきました。ありがとうございます。 勝家が北陸平定から越後以東への進攻についてどの様に構想し準備していたかに興味がありますので、有り難く勉強させていただきます。
橋場日月橋場日月6日前↑承前。では桶伏に変わって登場した遊興費回収のシステムは何だったのか。それが「付け馬(付き馬)」だ。回収者が債務者の家まで付いて行き、金銭をひっぺがしていく。これなら短時間がらちがあくというものだ。2
橋場日月橋場日月6日前そもそもは馬に揺られて江戸市中と吉原の往復する遊客の、その馬の馬子に依頼して代金回収させていたというが、馬子の仕事に従事する者はもともと定着率も低かったのだろう、代金を横領持ち逃げされるケースが多く、妓楼や茶屋が直雇いした者を債務者に付けて家まで回収に行かせるようになったと言う。名称は「付け馬」のままで。2
橋場日月橋場日月4日前https://news.yahoo.co.jp/articles/475f90a5fa828981fc881dd18216145041f113d1インフラ崩壊とインフレ加速(スタグフレーション?)。日本やばい?2