橋場日月橋場日月2024年09月04日 19:28https://mainichi.jp/articles/20240904/k00/00m/040/089000c 僕は計算が苦手で、学生時代は算数・数学のテストで正答が1/3なのにひとりだけ25/57とか珍妙な数字になっていたし、サラリーマン時代も月末の売上数字が検算するたび違う数字になったりしていた。 1300年前のお役人たちの中にも九九が苦手な人がいたと思うと肩を叩きたくなる。
橋場日月橋場日月7日前↑承前。では桶伏に変わって登場した遊興費回収のシステムは何だったのか。それが「付け馬(付き馬)」だ。回収者が債務者の家まで付いて行き、金銭をひっぺがしていく。これなら短時間がらちがあくというものだ。2
橋場日月橋場日月7日前そもそもは馬に揺られて江戸市中と吉原の往復する遊客の、その馬の馬子に依頼して代金回収させていたというが、馬子の仕事に従事する者はもともと定着率も低かったのだろう、代金を横領持ち逃げされるケースが多く、妓楼や茶屋が直雇いした者を債務者に付けて家まで回収に行かせるようになったと言う。名称は「付け馬」のままで。2
橋場日月橋場日月6日前https://news.yahoo.co.jp/articles/475f90a5fa828981fc881dd18216145041f113d1インフラ崩壊とインフレ加速(スタグフレーション?)。日本やばい?2