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おろか もんのトーク
トーク情報
  • おろか もん
    見城徹見城徹

    一昨日、バーベル・ベンチプレスで肩を痛めた。美木良介先生から67歳でバーベルやダンベルを使うと怪我の確率が高まるから出来るだけ自重でと言われていたのに、久し振りにジムで会ったトレーニング仲間にいいところを見せようと、つい頑張って110Kgを上げてしまった。その時、左肩に鈍い音がして痛みが走った。後悔、後の祭り。当分の間、トレーニングが制限される。僕が自滅するのはいつも[見栄]が関与している。いつになったら僕は[見栄]から完全脱却出来るのだろう?

  • おろか もん
    見城徹見城徹
    秋元康
    見城徹ほどストイックな人間を僕は知りません。人間、誰しも欲があります。見城徹は毎晩、今日の自分の欲と向き合います。そして、自己嫌悪に陥り、絶望しながら朝を迎えます。そして、ジムで肉体を痛めつけ、人生の残り時間を数えながら、何とか精神を鼓舞します。なぜ、そこまで自分と闘うのか?僕なら、とっくにリングを降りています。人生は流される方が楽です。その場に踏ん張る力が、ストイックさでもあります。

    うーん。どう答えていいのか解りません。秋元康の方がよほどストイックだと思うけどなあ。僕にストイックさがあるとすれば、それは秋元より相当に表面的です。いや、自己恍惚そのものです。秋元は奥が深い。懐が大きい。本質を見ている。決して利害損得では動かない。その裏で秋元康が耐えなければならなかった精神の修羅に僕は想いを馳せます。

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  • おろか もん
    谷口達彦谷口達彦

    独自の堀江メソッドで、若手タレントを東大合格へと導く受験ドキュメンタリー「ドラゴン堀江」いよいよ明日開始! 

    「自分も余裕で受かる」と豪語する堀江さん節が♯1からかなり満載で面白いです

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  • おろか もん
    削除されたユーザー削除されたユーザー

    9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生したが、一部の熱狂的なファンには支持されたが、一般的な知名度は全くなかった。僕は当時、テレビの音楽番組を構成していたが、そのプロデューサーに「出演させて欲しい」と頼み込むことはしなかった。他にも番組の構成をしていたし、仲のいいプロデューサーやディレクターは沢山いたが、客観的に売れているとは言えず、迷惑を掛けたくなかったからだ。いつか、もっと一般的に人気が出たら、きっと声を掛けてくれるに違いないと信じていた。メンバーはテレビに出られない境遇を悔しく思っただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、一番初めに「ミュージックステーション」にデビュー曲で声を掛けていただいた時は本当に嬉しかった。足を向けて寝られないと思った。そんな時代、ラジオのbayfmが長時間のスペシャル番組を組んでくれることになった。僕は耳を疑った。まだまだ、一般的な知名度は全くないのに…?プロデューサーの浅地さんにお会いした。ユーミンを初めとする大物ミュージシャンのラジオ番組を手掛けて来たプロデューサーだ。開口一番、浅地さんが言った。「小さな劇場で、必死にパフォーマンスするAKB48にロックを感じました。彼女たちを観ていて、なぜか、涙が出たんですよ。僕は最近、こんなにがむしゃらにになったことがあったか?って。秋元さん、僕がプロデューサーをやっている限り、AKB48を応援しますよ」ミスターラジオマンの熱い言葉に感動した。「人がどう言おうが、自分がいいと思ったものを応援する。それができるのがラジオの醍醐味なんです」
    浅地さんの言葉に支えられ、AKB48は我が道を進んで来た。
    この時の恩は絶対に忘れない。どんなに売れても、浅地さんからの依頼は絶対に受けようと誓った。それ以来、毎年、この時期にスペシャル番組を組んでいただいている。昨日はその9回目。僕はAKB48のアルバムの歌詞を27時間不眠で書いていてふらふらだったが、メンバーと一緒に出演した。浅地さんの顔を見ると、「また、来年も頑張ろう」と思えて来るからだ。熱い思いは必ず、誰かに伝わる。AKB48はこんな熱いみなさんに支えられているのだ。ファンのみなさんも熱い。メンバー、そして、僕たちスタッフはかな熱さに支えられている。bayfmの浅地さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。来年も熱く頑張ります。

  • おろか もん
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    9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生したが、一部の熱狂的なファンには支持されたが、一般的な知名度は全くなかった。僕は当時、テレビの音楽番組を構成していたが、そのプロデューサーに「出演させて欲しい」と頼み込むことはしなかった。他にも番組の構成をしていたし、仲のいいプロデューサーやディレクターは沢山いたが、客観的に売れているとは言えず、迷惑を掛けたくなかったからだ。いつか、もっと一般的に人気が出たら、きっと声を掛けてくれるに違いないと信じていた。メンバーはテレビに出られない境遇を悔しく思っただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、一番初めに「ミュージックステーション」にデビュー曲で声を掛けていただいた時は本当に嬉しかった。足を向けて寝られないと思った。そんな時代、ラジオのbayfmが長時間のスペシャル番組を組んでくれることになった。僕は耳を疑った。まだまだ、一般的な知名度は全くないのに…?プロデューサーの浅地さんにお会いした。ユーミンを初めとする大物ミュージシャンのラジオ番組を手掛けて来たプロデューサーだ。開口一番、浅地さんが言った。「小さな劇場で、必死にパフォーマンスするAKB48にロックを感じました。彼女たちを観ていて、なぜか、涙が出たんですよ。僕は最近、こんなにがむしゃらにになったことがあったか?って。秋元さん、僕がプロデューサーをやっている限り、AKB48を応援しますよ」ミスターラジオマンの熱い言葉に感動した。「人がどう言おうが、自分がいいと思ったものを応援する。それができるのがラジオの醍醐味なんです」
    浅地さんの言葉に支えられ、AKB48は我が道を進んで来た。
    この時の恩は絶対に忘れない。どんなに売れても、浅地さんからの依頼は絶対に受けようと誓った。それ以来、毎年、この時期にスペシャル番組を組んでいただいている。昨日はその9回目。僕はAKB48のアルバムの歌詞を27時間不眠で書いていてふらふらだったが、メンバーと一緒に出演した。浅地さんの顔を見ると、「また、来年も頑張ろう」と思えて来るからだ。熱い思いは必ず、誰かに伝わる。AKB48はこんな熱いみなさんに支えられているのだ。ファンのみなさんも熱い。メンバー、そして、僕たちスタッフはかな熱さに支えられている。bayfmの浅地さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。来年も熱く頑張ります。

  • おろか もん
    見城徹見城徹

    ⬆︎ [編集会議]という雑誌の「箕輪特集」に僕が書いた文章。
    僕が角川書店(現・KADOKAWA)時代、本のあとがきに自分の名前が載ったり、新聞や雑誌のインタヴューを受けたり、テレビに出たりすると専務だった角川歴彦氏に「君は目立ち過ぎだ」と怒られた。「毎年、一番の結果を出しているんだから、いいじゃないか」と思ったし、名前が売れることはビジネスに有利に働く。
    狭量でケチな男だなあ、と思ったが黙っていた。「角川書店にどれだけ儲けさせているのか解ってないのかよ」と心の中で呟いていた。だから、部下にはそんな想いをさせたくない。みんなそれぞれの輝き方で目立てばいいと思う。

  • おろか もん
    見城徹見城徹

    755の皆さん。僕たちは偶然ではなく必然的に755で出会った。それは小さな運命だった。きっと何か意味がある。そう思わなければ人生やってられないよ。
    藪医師は物書きとしてデビューし、次々と活動の場を広げている。間も無く小説も出る。箕輪は双葉社で僕の[たった一人の熱狂]を出し、幻冬舎に移った。瞬く間にヒット本を作り続け、自分の初めての著書をマガジンハウスから出版し10万部のベストセラーになっている。今や若い世代のカリスマだ。長太郎飯店や七代目松五郎、進藤のカキ氷店だってある。
    755から何かが起こる。小さくてもいいじゃないか。755は奇跡のSNSだ。

  • おろか もん
    見城徹見城徹

    売れるものはやる。売れないものはやらない。これ、基本方針。しかし、売れないだろうものでも出す意義があると判断したものはやる。将来有望な、しかし今は売れない作家もやる。単なるメーカーじゃないからね。一番やってはいけないのは、人間関係のしがらみで出す本や、何となく「これいいんじゃないの的な感じ」で安易に出す本。上手く行った試しがない。