おろか もんのトーク
トーク情報おろか もん 見城徹見城徹 秋元康見城徹ほどストイックな人間を僕は知りません。人間、誰しも欲があります。見城徹は毎晩、今日の自分の欲と向き合います。そして、自己嫌悪に陥り、絶望しながら朝を迎えます。そして、ジムで肉体を痛めつけ、人生の残り時間を数えながら、何とか精神を鼓舞します。なぜ、そこまで自分と闘うのか?僕なら、とっくにリングを降りています。人生は流される方が楽です。その場に踏ん張る力が、ストイックさでもあります。うーん。どう答えていいのか解りません。秋元康の方がよほどストイックだと思うけどなあ。僕にストイックさがあるとすれば、それは秋元より相当に表面的です。いや、自己恍惚そのものです。秋元は奥が深い。懐が大きい。本質を見ている。決して利害損得では動かない。その裏で秋元康が耐えなければならなかった精神の修羅に僕は想いを馳せます。
おろか もん 削除されたユーザー削除されたユーザー 9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生したが、一部の熱狂的なファンには支持されたが、一般的な知名度は全くなかった。僕は当時、テレビの音楽番組を構成していたが、そのプロデューサーに「出演させて欲しい」と頼み込むことはしなかった。他にも番組の構成をしていたし、仲のいいプロデューサーやディレクターは沢山いたが、客観的に売れているとは言えず、迷惑を掛けたくなかったからだ。いつか、もっと一般的に人気が出たら、きっと声を掛けてくれるに違いないと信じていた。メンバーはテレビに出られない境遇を悔しく思っただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、一番初めに「ミュージックステーション」にデビュー曲で声を掛けていただいた時は本当に嬉しかった。足を向けて寝られないと思った。そんな時代、ラジオのbayfmが長時間のスペシャル番組を組んでくれることになった。僕は耳を疑った。まだまだ、一般的な知名度は全くないのに…?プロデューサーの浅地さんにお会いした。ユーミンを初めとする大物ミュージシャンのラジオ番組を手掛けて来たプロデューサーだ。開口一番、浅地さんが言った。「小さな劇場で、必死にパフォーマンスするAKB48にロックを感じました。彼女たちを観ていて、なぜか、涙が出たんですよ。僕は最近、こんなにがむしゃらにになったことがあったか?って。秋元さん、僕がプロデューサーをやっている限り、AKB48を応援しますよ」ミスターラジオマンの熱い言葉に感動した。「人がどう言おうが、自分がいいと思ったものを応援する。それができるのがラジオの醍醐味なんです」
浅地さんの言葉に支えられ、AKB48は我が道を進んで来た。
この時の恩は絶対に忘れない。どんなに売れても、浅地さんからの依頼は絶対に受けようと誓った。それ以来、毎年、この時期にスペシャル番組を組んでいただいている。昨日はその9回目。僕はAKB48のアルバムの歌詞を27時間不眠で書いていてふらふらだったが、メンバーと一緒に出演した。浅地さんの顔を見ると、「また、来年も頑張ろう」と思えて来るからだ。熱い思いは必ず、誰かに伝わる。AKB48はこんな熱いみなさんに支えられているのだ。ファンのみなさんも熱い。メンバー、そして、僕たちスタッフはかな熱さに支えられている。bayfmの浅地さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。来年も熱く頑張ります。おろか もん 削除されたユーザー削除されたユーザー 9年前。AKB48は秋葉原の小さな劇場で誕生したが、一部の熱狂的なファンには支持されたが、一般的な知名度は全くなかった。僕は当時、テレビの音楽番組を構成していたが、そのプロデューサーに「出演させて欲しい」と頼み込むことはしなかった。他にも番組の構成をしていたし、仲のいいプロデューサーやディレクターは沢山いたが、客観的に売れているとは言えず、迷惑を掛けたくなかったからだ。いつか、もっと一般的に人気が出たら、きっと声を掛けてくれるに違いないと信じていた。メンバーはテレビに出られない境遇を悔しく思っただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、一番初めに「ミュージックステーション」にデビュー曲で声を掛けていただいた時は本当に嬉しかった。足を向けて寝られないと思った。そんな時代、ラジオのbayfmが長時間のスペシャル番組を組んでくれることになった。僕は耳を疑った。まだまだ、一般的な知名度は全くないのに…?プロデューサーの浅地さんにお会いした。ユーミンを初めとする大物ミュージシャンのラジオ番組を手掛けて来たプロデューサーだ。開口一番、浅地さんが言った。「小さな劇場で、必死にパフォーマンスするAKB48にロックを感じました。彼女たちを観ていて、なぜか、涙が出たんですよ。僕は最近、こんなにがむしゃらにになったことがあったか?って。秋元さん、僕がプロデューサーをやっている限り、AKB48を応援しますよ」ミスターラジオマンの熱い言葉に感動した。「人がどう言おうが、自分がいいと思ったものを応援する。それができるのがラジオの醍醐味なんです」
浅地さんの言葉に支えられ、AKB48は我が道を進んで来た。
この時の恩は絶対に忘れない。どんなに売れても、浅地さんからの依頼は絶対に受けようと誓った。それ以来、毎年、この時期にスペシャル番組を組んでいただいている。昨日はその9回目。僕はAKB48のアルバムの歌詞を27時間不眠で書いていてふらふらだったが、メンバーと一緒に出演した。浅地さんの顔を見ると、「また、来年も頑張ろう」と思えて来るからだ。熱い思いは必ず、誰かに伝わる。AKB48はこんな熱いみなさんに支えられているのだ。ファンのみなさんも熱い。メンバー、そして、僕たちスタッフはかな熱さに支えられている。bayfmの浅地さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございます。来年も熱く頑張ります。