竹田武司のトーク
トーク情報- トークが開始されました
- たっけ
たっけ 見城さんと一緒に尾崎豊を聴いた夜
今日は尾崎豊の30年目の命日なので勇気を振り絞って初トークさせて頂きます。
10年以上前?だと思うのですが、当時、私は建設現場でクレーンオペレーターとして働きながら、シナリオライターになることを目指し、コンクールに応募する日々を10年以上送っていました。けれどたいした結果も出せず、孤独で、辛く、悔しい日々を送っておりました。
そんな時、車を運転中に偶然流れてきたのが、見城さんが代役としてDJを務めていたオールナイトニッポン!
そこで見城さんは
・尾崎との付き合いで苦労した事。
・尾崎が亡くなった後は、尾崎の歌を聴くのをずっと避けていた事。
・でも今夜DJを務めるのを機に尾崎の歌を聴くとおっしゃり、
『僕のリクエストは…尾崎豊で...シェリー』
と言い、曲が流れました。
私が一番好きなこの曲を見城さんが必ずリクエストしてくれると何故か確信していて、見城さんが『シェリー』と言ったその瞬間、それを待っていたかのように私の目から涙がボロボロ溢れ、車を運転中にも関わらず、歌を聴きながら号泣し、最後には嗚咽していました。
そして先日ABEMAtvの「徹の部屋#41」を観ていると見城さんが、
『…尾崎に自分を重ねるんだよ。
今でもなぜ多くの若者が、尾崎を聞いて、尾崎を求めるのか?って言ったら、それは自分の人生の問題として尾崎がしょっていたものをちゃんと見通すからですよ。
誰もが人生の通過点として、絶対に尾崎みたいな地獄を味わうんですよ。
それを敏感に察知出来ない奴は上手く生きるんですよ。尾崎みたいに上手く生きられない奴も一杯いるんですよ。それがみんな尾崎を聴いて心に沁みるんですよ。そういう存在だよ、尾崎はね。』
とおっしゃっていて、この見城さんのコメントのおかげで、あの夜、自分が号泣した理由がよくわかりました。
当時の私は地獄を味わっていて、誰からも認められないことが悲しくて、叫びたいくらい悔しくて、傷ついていたと…
結局シナリオライターにはなれず、その後はダラダラ過ごし、50歳を過ぎてしまいました。
でも半年前に見城さんのご著書をほぼ読破し、いつも戦っているそのお姿に感銘を受け、このまま何もしないで生きていくのは嫌だなぁ〜と考えていた所、最近熱狂できることを見つけ、また挑戦しています!
これも見城さんをはじめ、それぞれのお立場で頑張っておられるこの755の皆様から刺激を受けているおかげだと思っております。SNSは苦手でいつも見るだけなのですが、この755を毎日楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします!