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DeMi

今回の黒髪騒動、仮にやすすの言う「生活指導の一環」だとするならナンセンス、と言うより今の時代(世代)にはそぐわないと思う。但し、一般論としてだ。 ここからは憶測ではあるが、これが原点回帰と意識改革を目的とする内容ならば概ね賛成…説明と根回しは必要だったが。 トライアンドエラーを重ねる中で板野友美は「茶髪」にたどり着いた。大島優子は全力を貫き、柏木由紀・渡辺麻友はアイドルを突き詰め、指原莉乃は大衆化を図った…無個性という名の鎧を纏った個性の塊、絶対的エース・前田敦子を倒さんとばかりに。 黒髪+制服の縛り(有無は正確には不明)の中で如何に「個」を輝かせるか?という難問に向き合った結果、「神7」が生まれ、指原のような「バケモノ」を産んだ。 だからこそ「documentary of〜」は泣ける。 それに対し、現在主力となるのは9期以降の、いわゆる「次世代、ブレイク後世代」。 なんの苦労も無く…は言い過ぎだが、黙っていてもCDは売れ、劇場は埋まる。冠番組だってある。危機感を麻痺させるにはこれ以上ない条件下で活動を始めた。幸せであるが、不幸でもある。 全てが太陽になれる訳では無い。その光を受け、初めて輝く星となる…そんな立ち位置もアリだとも思う、バイプレーヤーとして生きるのであれば。 あの自己犠牲の塊、高橋みなみもソロデビューが決まった時には自身の為に涙した。いや、自己犠牲を払ったからこその涙だったのかも知れない…たかみなの「努力」は「リーダーであり続ける」ことだったからである。 たかみなの「個性」は集団の中で輝く個性だったと思われる。どんなに巨大化してもその個性は色褪せるどころかより輝きを増した。驚異である。 AKB48が夢としていた東京ドームで大場チーム4は「解体」という試練にぶち当たった。僅か1年、これからって時に強烈なテコ入れ。驚いたのと同時に、初期のチームKを思い出し納得したのを覚えてる。 兼任、移籍、解体、卒業。新しいAKBが生まれる予感があの大組閣には確かにあった。確かに変わった。ここ最近卒業メンバーらが口々にする「ぬるさ」を纏って。 そうメンバー 気づいていなかった 恵まれたまわりに 甘えてたあの頃さーーー 2代目総監督・横山由依に″勝手に″期待した「引継ぎ」は今のところ影を潜めている。何を?ハングリー精神=K魂の継承をだ。 俺は今でも2期メン・初代チームKが最高のチームだと思っている。キャラクターの大渋滞、ともすれば空中分解してしまうような集団は「打倒チームA」の旗印の下、見事に団結した。優子がたかみなを「戦友」と呼んだのもその側面があったからと思っている。 競い合うことで互いを高め、更に巨大で強靭な世間と共闘する。オリメンは必ずと言っていいほどKメンなら「チームAさん」、Bメンも「チームAさん、Kさん」と呼び、敵視と同等の敬意を払っていた気がする。 前述のK魂は、残念ながら今の本店では自発性を期待出来ない。そのあたりは現チームBキャプテンが木﨑ゆりあであることからも感じ取れると思う。 反骨のSKE。チームAに対するチームKと同じく、打倒AKBを掲げたSKE48。K魂を継承したのはSKEではないかと考える。体育会系と言われるSKEは7期までのAKBのソレと同じ、いやそれ以上の緊張感と競争力を持っていると思う。期ごとの団結も強く、それゆえの縦社会だったりもするのだが、同時にちゃんとした「下剋上」が常に起こりうる土壌がきちんと存在する。これは惰性や馴れ合いの中では絶対に生まれないチカラだ。 即ち、ゆりあのキャプテン就任は「K魂の逆輸入」だと思っている。松井珠理奈の兼任延長(秋元K〜大島K〜横山K〜峯岸K)も、もしかしたらそうだったのかも知れない。が、支店→本店の流れによるテコ入れは各支店エース級の兼任を含めこれが限界。AKBへの兼任制度には思うところもあるが、ここでは割愛する。 SKEにも馴れ合いの空気は確かに生まれた。大量卒業によって暗雲の空気が立ち込め、ギクシャクもした。しかし松井玲奈の奮闘と宮澤佐江、大場美奈、7D2の登場でV字回復を果たした(と思っている)。 推し補正も含め、宮澤佐江は「AKBGの太陽」だと思う…異論はないはず。殆どの曲で選抜を務め、自身の輝きを保ちながらも周囲への気遣いも怠らなかった、珍しい「自他共に輝かせる能力」を持った人。更なる輝きを求め、新天地を求めるも思わぬ挫折を経験。そして多くの「タネ」を抱えて秋葉原ではなく栄にキャプテンとしてやってきた。メンバーや古参の栄ヲタは戸惑ったかも知れないが、SKEにK魂を見ていた俺的には何の不満も違和感もなかった。その後の結果は言わずもがな。 もしかすると、同じことを梅田彩佳にも求めたのではないか?と思っている。が、初動があまりにも遅すぎた。そう考えると、賛否両論あったがNMBの次期センターをかけた神戸でのコンサートは結果的には「出来なくなった挫折」を経験出来た、貴重な機会だったのでは?と思う。 初代チーム4キャプテン・大場美奈。次世代の中で一番の「挫折頭」だ。自身の問題に始まり、チームの解体、そして移籍。決して本人が思い描いていたものではなかったはず。だがその経験は今チームK2でキャプテンとしてK2の象徴・高柳明音と共にチームを牽引する原動力として存分に発揮され、その人懐っこいキャラとリーダー力で輝きを増すことに成功している。 栄光と挫折、期待と後悔があるうちは成長出来る。逆に安定に成長は見込めない。「スクラップアンドビルド」を組閣によって繰り返してきたわけだが、″あの″ドームでの大組閣以降、その効果は全く機能していないと正直感じる。何故か?そもそものチームが「成熟」していないからである。 どんなに巨大化しても活動の基盤は劇場公演であり、最小のコミュニティ(社会)は各チームである。異論は認めない。チーム内での争いも完結させずに新たなチームを組んだところで、達成感も挫折感も味わえぬままでは「努力の浪費」と言わざるを得ない…専ら「改悪」と言われる所以はそこ。 そしていつしか麻痺することに慣れてしまった。いや、麻痺していることにすら気づけずにいたりもする。 大人なメンバーは「AKBの為に」と張り切ってその指示に従う…自己顕示欲をなだめながら。では次世代はどうだろう?無知もあるだろう。恐怖もあるだろう。反発するには勇気も体力もそれなりの理由もいる。なぁなやこみはるあたりは憤りを隠せないだろう。没個性化を叫ばれる中「やっと見つけたのに!」と。 しかし、これだけは断言出来る…秋元康の言う「髪の色なんか」で奪われてしまう個性ならとっとと捨ててしまった方がいい。 俺たちの世代は大した理由などなく、少なからず誰しもがヤンキーに憧れていた気がする。髪を染め、眉毛を細くし、カバンを潰し、改造ズボンで「カッコつける」。そう、大半がその「カッコウ」に憧れたのだ。そしてその大半は歳を重ねる中でそこから離れてゆく。違う、と感じた者、飽きた者、その他諸々。中にはその憧れに青春の、または人生の大半を費やし、「若気の至り」で済んだ者・済まなかった者もいたが、それは極一部のことだ。 年配者の話は一様に面白い。多少の脚色はあるにせよ、それぞれがそれぞれの特色を持っているからに他ならない。「個性」である。個性は個体に帰属する。つまり「モノマネ」では個性とは呼べない。遠い昔の武勇伝に退屈することも、自慢話にウンザリすることもあるがそれも個性である。そしてそれは変わらない。意識的に人に不愉快を与えようとする奴はいない(はず)。無意識に完成させたのである…個性を。 タレント的な個性とは違うのかも知れないが、その大枠に大差はない。かき氷のシロップのように、その違いが「見た目だけ」だと知ってしまうと途端に魅力を失ってしまう。地力をつける前に武装すると、破られた時に無防備になる。ヲタは鎧兜ではなく、その中身(本質)に惚れるのだ。見た目はキッカケでしかない。 長々と書いてきたが何を言いたいかというと、俺的には「絶滅黒髪少女」派ではなく「制服が邪魔をする」派だということだ。なんだそりゃ。 説明すると、内から溢れ出るモノを抑えきれない、溢れ出て仕方が無い…そんな状態が必要じゃないか?ってこと。その「溢れ出るモノ」こそが個性ではないのか?個性は味=魅力…そんな考察。 巨大化し、多様化し尽くし、頭打ち感さえ漂わせつつある中、蔓延する停滞ムードを打破せんと今回若干の勇み足感も含みつつ、実行に踏み切った運営に少し期待を取り戻すキッカケとなる案件ではなかったかと思っている。 風を入れろ!チームよ 勝負だぜ!誰も見たことないパフォーマンスーーー 頑張って欲しい、チャンスだと思って。 あくまで憶測である。また、経緯等事実と違う!と言われても困るだけなので悪しからず。笑

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