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猫田係長のトーク
トーク情報
  • 猫田係長
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    #1546『齊藤京子論 intersection』

    彼女はいつだって戦っている。
    その孤独な心を、涙で濡らして....

    齊藤京子。日向坂46第1期生。
    東京都出身。1997年9月5日(23歳)
    arレギュラーモデル。155cm。
    2021年1月19日に1st写真集「とっておきの恋人」を発売。愛称きょんこ。


    小学1年生の時はバレエ、2年生からはダンスを習っていた。高学年の頃にはダンス漬けの日々を送るようになる。中学生になると、当時大人気であったAKB48に夢中になった。中でも小さな体で誰よりも大きくダンスを踊っていた大島優子の存在に強く惹かれた。この頃より芸能界への憧れを抱き、様々なオーディションを受け始めた。アイドル、ダンサー、女優....結果、その全てが不合格だった。

    そんなある日、家族旅行で旅館にあったカラオケを歌った際、家族に褒められた。それがきっかけとなり中学3年生になるとダンスを辞め、ボーカルスクールに入学する。休日になると一人カラオケBOXに籠り何時間も歌い続けた。特に中森明菜・山口百恵の曲が大好きだった。こうしてダンス・歌と2つの特技を身に付けた彼女は、高校に入ってもオーディションを受け続けた。今度はアーティスト路線一本に絞り。それでも不合格の連続....そして、高校3年生になる直前、彼女はその夢に見切りを付ける。それは進学に備える為の冷静な判断であった。

    高校3年生の秋。趣味の一環で始まったばかりの番組「欅って、書けない?」を見ていた。すると、その画面の中に知ってる顔を見付ける。それが今泉佑唯であった。彼女とは、2年前の歌手オーディションの頃に知り合い意気投合、連絡先も交換していた。そんな近くにいた存在が、憧れのTVの向こう側に居る。その後「けやき坂46 追加メンバーオーディション」の告知が発表された。夢は諦めた....筈だった。でももう一度受けようと決めたのは、あの頃の仲間が夢を叶えた姿に自分を重ねたから。

    これが最後の挑戦
    そう心に決め、齊藤京子は審査に挑む。

    そこで待っていた課題は「SHOWROOM」での個人配信。直接影響しないと説明はあったものの、そこには視聴者の数や応援で変動する「個人ランキング制」がとられていた。彼女は1位を目指し自分に出来る事は何でもやった。そして、このSHOWROOM審査を1位通過し、そのまま最終審査も見事合格。

    2016年5月8日
    ここに、けやき坂46(ひらがなけやき)の
    齊藤京子が誕生した。

    そんな彼女には明確な目標があった。けやき坂46は欅坂46の"アンダーグループ"としての立ち位置であった。だから彼女は「けやき坂46で一番になって欅坂46の選抜メンバーになりたい」そう考えていた。それは他のメンバーが「私たちは、ずっとひらがなで居たい」という考えとは一人異なる物であった。

    そして、先輩である欅坂46のメンバーと初対面する機会が訪れた。彼女は....自分の考えの甘さを知った。目の前に並ぶ先輩メンバーの洗練されたオーラに「このメンバーの中に入れる訳がない。この人達は遠すぎる」とその感情は溢れ、号泣してしまった。そんな不甲斐ない自分に、少し前まで掲げていた明確な目標は一瞬で消え去った。加え、当時の欅坂46は21人の"全員選抜"に拘っていた為

    もしかしたら、
    私達はずっとアンダーなのかもしれない....

    そんな見えない未来への恐怖にも襲われた。

    その予感は的中してしまう。握手会をやっても、列が出来るのは欅坂46メンバーばかり。けやき坂46のレーンは空白だ。ネットでは
    「可愛い子一人もいない」
    「一生アンダーの報われないグループ」
    「ひらがなには、漢字の21人選抜を崩さない事だけを祈る」....
    明らかに、批判の声の方が強かった。

    ここから、2019年3月27日「日向坂46」に改名しデビューに至るまでの3年間。それは、彼女たちにとって戦いの日々。だが、それを語るには時間が足りない。


    2020年12月30日 新国立劇場
    日本レコード大賞。

    その特別企画の一環で、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」を日向坂46から齊藤京子・加藤史帆の二人が披露する事になった。

    本番を終え
    「何も出来なかった。練習が全然活かせなかった。グループの代表で立たせて頂いたのに、本当に不甲斐ないです....」

    笑顔になれない時もあった。
    仲良くできない時もあった。
    私は、戦いに来ているから。
    でも、メンバーやファンの皆さんは
    こんな私でも優しく受け入れてくれた。

    せめてみんなの笑顔は守りたい。
    だから、私に出来る事は何でもやろう。

    齊藤京子は手を伸ばす。その1ミリ先の未来へ。
    群れずとも、その背中は何よりも温かい。

  • 猫田係長
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    #1551『齊藤京子論 monologue』

    日向坂46のレギュラー番組が始まった。

    自分はバラエティーは出来ないし、普段から「クールだね」とよく言われて来たから、そのキャラクターで行こうと決めた。でも気が付けば、スタジオでただ座ってるだけの自分。

    ひらがなけやきの頃。

    その楽曲にはどこか「欅坂46らしさ」があった。私、齊藤京子が初めてセンターを務めた「それでも歩いてる」はアコースティックな作風であったり。だから、そんな自分のままでも成立していたのかもしれない。でも日向坂46に改名し、その楽曲群はガラリと変わった。それに呼応するように、メンバーの皆んなはより明るく、よりバラエティー番組に前のめりになって行った。

    私も変わるべきなのか、迷っていた。

    「日向坂で会いましょう」は一回の収録で4週分収録する時がある。勿論、自分としてもちゃんと爪跡を残そうと適度に発言はして来たつもりだった。でも実際のオンエアーを見て、一言も喋ってない自分の姿が映っていた。それが4週続く事もあった。

    私は何の為に、日向坂に居るんだろう....

    そう考える様になった。これまでの3年間、この場所を目指して努力して来たのに、今の私は結果を出せていない。加藤史帆に相談したりもした。彼女は優しいから「京子は京子のままで良いんだよ」と言ってくれた。

    私も頑張ってないと言えば嘘になる。ただ、私の場合はテンション高く発言して盛り上げるより、一言ぼそっと呟き場を乱すタイプだと思う。でもオンエアーで使われてないという事は、実力がないという事だ。このままではどんどん埋もれてしまう。私ももっとこの番組の役に立ちたいのに。

    そんな時、ある企画で苦手な「ぶりっ子」をやらないと行けない時があった。でもその時、オードリーの若林さんが

    "齊藤京子はぶっり子も出来るんだね!"

    と大笑いしながら褒めてくれた。今までそんな事なかったから嬉しかった。スタッフさんの間でも反響で、台本に「ぶりっ子で」と書かれる様にもなった。初めて手応えを感じた瞬間だった。

    でも、一部のファンの皆さんからは反対意見もあった。それは当然だ。今までクールでアーティスト志向であったアイドルが急に路線変更したのだから。

    でも、私は思う。

    日向坂はみんなで日向坂。
    私だって、みんなと一緒に騒ぎたいと。

    私もやっと日向坂になれたのかな。