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幻冬舎箕輪 日報

義理人情恩返しの世界  この話をもっと踏み込んですると、見城さんの「GNO」という言葉になる。僕らの仲良い友達の間で「日本貸し借り銀行頭取」と愛を持って呼ばれている。 見城さんは信頼という通貨を誰よりも大事にし、誰よりも貸し、日本一の流通量を誇っている。 その見城さんの「GNO」とは「義理、人情、恩返し」これが人間関係の根幹だということだ。 自分にとってプラスなことが、怪獣人間のおかげでもたらされた場合は、それを言葉にして伝える。  例えば怪獣人間から貰った言葉やアイデアで気付きを得たとか、企画がうまくいったとか、それを伝える。怪獣人間の行きつけの店に行って美味しかったなら、それも伝える。  これは相手に気に入られるためとかではない。下心があるなら最悪だ。それはバレる。 だから儀礼的にやる必要はない。真心が大事なのだ。僕は恥ずかしいから酔った時に伝える場合が多い。  「これは自分の仕事だ」と思ってやっていることでも、怪獣人間の掌で動いていることが多い。 そもそも仕事というのは誰かの信用の積み重ねの上に出来ている。 師匠の信用、会社の信用、上司の信用。過去の信用の積み重ねで、たまたま今、形になっている。  義理、人情、恩返しで仕事できるようになると強い。世の中の大きなことは、実は損得では動いていないからだ。 「あの人には義理があるから、あの人には世話になりっぱなしだから恩返ししなきゃ」という怪獣人間のGNOで決まっている。  それを子供のビジパ!は癒着だとか忖度だとか言うが、仕事や政治も人間がやることなのだから、全てが合理的に、利害で動くわけはない。  信用、貸し借りで人間関係は成り立っている。人間関係の上に仕事がある。 おカネの貸し借りは数字で残るけれど、人間関係の貸し借りは目に見えない。この見えない貸し借りこそが大切なのだ。 「返報性の法則」はよく知られている人間の心理だ。 貰った分に少し色をつけて返さないと気持ちが悪い。お中元やお歳暮の風習が続いているのもその心理だ。よっぽど変な人ではない限り、何かしてもらったら少しだけ色をつけて返したい。それが人間の心理としてある。  怪獣人間は「闇金ウシジマくん」のように貸しを作る。与え続けていく。何も言わないけれど貰った側は「返さなきゃ」って思っている。どんどん利子は膨らんでいく。貸し手は無限に強くなり続ける。怪獣人間はまだ何者でもない若者に力を貸す。いずれ何倍にもなって返ってくることを感覚的に知っているのだ。  逆に怪獣人間は借りない。借りたら最後、いずれ何十倍にもして返さないといけないと覚悟を持って生きているのだ。  僕の開業した「ラーメン箕輪家」にWBC中のダルビッシュさんが来てくれた。ダルビッシュさんは貸し借りを意識するようなタイプでは全くないが、とんでもないものを借りてしまったと心にはずっとある。  見城さんは二度も来てくれて755に「箕輪家は美味い」と書いてくれた。これがどれだけの影響力があるか。その投稿を見た秋元康さんが開店祝いのお花を出してくれた。これがどれだけのお店に信用になるか。  死ぬまでに返せるだろうか。恐らくそうして積み上がった借りは、返せない。親孝行と同じで、きっとみんな返しきれないまま終わる。  こちらもいつしか後輩ができる。先輩にやってもらったように、こちらも後輩たちにはできるだけギブする。その連鎖だ。 「あいつマジで恩知らずだから、もう付き合わない方がいいよ」といった言葉は、怪獣人間の会話でけっこう耳に入ってくる。人間関係は、付き合わないと言われたらそこでおしまいだ。

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