塾長塾長9年前「お前らの四季」春の黄色く濁った立ち込める花粉の辛さもしらない。しみったれた雨季の気だるさもしらない。コンクリートに叩きつけられた直射日光の暑さもしらない。季節外れのこたつのようなこもった布団の中のような蒸し暑い残暑もしらない。枯れた葉を踏みと照りつける短くなった夕焼けの哀しい秋をしらない。足取りが遅くなる重たい雪の降る冬をしらない。お前らはなんにも知らない。お前らは布団から出ない。お前らは世間をしらない。夢うつつのSNSの身を焦がし朝起きたらそれは昼間で亡霊のように冷蔵庫へ向かい、布団に戻ってスマホを取り出し検索で得た知識。すけべなことだけ知っている。朝も夜もしらない季節もしらない誰もお前を……4
塾長塾長9年前「同義語」夢の対義語は現実。野望の対義語は落ち着き。理想の対義語は妥協。プライドの対義語は順応。感動の対義語は習慣化。ギターの対義語はリクルートスーツ。キャンバスの対義語はスーツケース。オーディエンスの対義語は満員電車。テレビの対義語はワードエクセル。ファンの対義語は上司。お金の対義語は嫉妬。未来の対義語は真っ暗闇。成功の対義語は言い訳。愛の対義語は嘘。才能の対義語は他人。努力の対義語は明日。SNSの類義語は浪費。遠回りの類義語はまだ大丈夫。悪口の類義語は仲間探し。暇の類義語は諦め。人生の類義語は待ち時間。生きるの同義語は迷惑。死の同義語は同情。1
塾長塾長9年前「雨」雨と晴れの境界線。右肩には雨粒で左肩には日光が照りつける。ミクロな世界の雨粒は、ウォーターベットが降り注ぐようであって、ぼくらにとっての雨粒は傘があればどうにかなる。農家にとっての雨は恵だし、ぼくらにとっての雨は憂鬱の象徴だし。そんな「好き」と「嫌い」の抽象的な境界線にぼくはいる。雨は大好きだし同時に大嫌いだ。ぼくは、雨が大嫌いだ。だけど、ぼくは、雨が大好きだ。絡み合う複雑な感情の糸を解しながら、ぼくは今日も傘をさす。雨は大好きだし同時に大嫌いだ。3