トーク
トーク情報- kanakana
kanakana こんばんは。
すっかりご無沙汰しておりますが、お元気ですか。
映画「蜜蜂と遠雷」を観てきました。
実際の演奏会では不可能なアングルからの映像が、印象的でした。
映画ならでは、の撮影と演出が、映像に音を与えていた、映像が音を奏でていた。
耳をふさがれてしまっても、映像だけで音を感じる、ピアノの音を「聴く」ことができるかもしれない、そう思わせる映像でした。
繊細なショパンのプレリュード「雨だれ」と雨音が調和する、そして雨音とヒロインの思い出やトラウマにピアノが重なり、ピアノとオーケストラの音色が調和してラストシーンへと自然に導かれていく。
ピアノを弾く事は、自分一人で完結する世界、自分との戦いです。
自分の心と真摯に向き合い対峙して、自力で葛藤を乗り越えたヒロインが、自分だけの世界から、他者との調和、オーケストラとの共演へと向かう姿は、生きるという事の比喩に思えました。 - kanakana
kanakana こんばんは。
先生、タキシードも歌も、素敵でした。
生放送してくださって、ありがとうございます。
とても楽しかった、久々に心から笑顔になれた、素敵な「贈り物」をありがとうございます。
私も「出演」しているなら、遠慮しないで観に行けば良かったです。
いつも、行きたいと思いチケットを手にしても、やはり迷惑では?と思って、行けなくなる事が多いです。
こうして生放送していただけて、ありがとう、ありがとう、感謝の気持ちでいっぱいです。
そう、迷惑では、という思いだけではない、違う不安、そのせいかもしれません。
実物の私は、私の綴る純文学とは別物であり、きっと、好意を抱いて下さる方の想像とは違う、夢が壊れてしまう、そんな不安があります。
実物の私を目の当たりになさったら、どのように思われてしまうのか、気に入って下さるのかどうか、自信がありません。
夢が壊れた、と、がっかりされてしまうのではないか、その恐怖から、現実として同じ空間へ伺うのは、ためらいます。
こうして生放送してくださって、ありがとうございました。
楽しかった、嬉しかった。
ありがとうございました。 - kanakana
kanakana 先生、皆様、こんにちは。
ご無沙汰しております。
私が何か書くと、ご迷惑をお掛けしてしまうのでは。
その心配から遠慮していたけれど、昨日は大切な日でした。
昨年も、離れざるを得なくて、伝えられなかった。
今年も、本当は御迷惑かもしれない。
行きつ戻りつ心は戸惑います。
そして、その迷いに拍車をかけるのは、かの本の存在です。
助けてあげたいという気持ちはあるものの、それは愛というよりも、強制された義務にも似て、息苦しいのです。
先生のような真っ直ぐな誠実さを感じないから、そう受け取ってしまうのだと思います。
いつも先生は、過剰な程に情熱的で、真っ直ぐで、誠実です。
きっと、他人に対してだけではない、ご自分に対しても、いえ、ご自分に対してこそ、真っ直ぐで、誠実なのだと思います。
自分に対しては、いくらでも誤魔化せてしまう、それなのに、真っ直ぐなんて、ハードボイルドな男のロマンです。
筋トレが自分との対峙であり、誤魔化せないのと同じかもしれません。
無意識に、引き締まった肉体に惹かれるように、惹き付けられてしまうのは、その真っ直ぐな誠実さ、逃げない、誤魔化さない、男らしさに魅了されるからかもしれません。
お祝いされるのは苦手かもしれない、迷惑かもしれない。
でも、この言葉を贈らせて下さい。
お誕生日おめでとうございます。