自分の全てのことに自責の念が強く湧く。
そうするしかなかった、と言い訳してみても自分の狡さは自分が一番知っている。
肝心なところで[誠実]、[正直]、[善良]だっただろうか?GNOを通して来ただろうか?
一生、静岡県清水市から出られないと思っていた少年時代。清水から出るという発想さえ無かった。思いがけず東京の大学に合格して、それからずっと東京で生きて来た。いつもいつも苦しい戦いをして来たと思う。何とか今も立っている。
71歳になった。遠くまで来たが、自責の念は増すばかりだ。肉体の老化と自責の念。辛いが前に進むしかない。僕は最期の微笑に辿り着けるだろうか?