村田博のトーク
トーク情報村田博 幻冬舎箕輪 日報幻冬舎箕輪 日報 かすり傷も痛かった
●今やりすぎると、やることなくなる
「編集者になりたい? なら、今すぐ本を作れ。あれこれ悩んでいる暇があるならnoteでもなんでもいいから原稿を編集して世に出せばいい。今日やるんだ。今すぐやれ」 僕はそんなふうに若者たちをけしかけてきた。
仕事で結果を出すためには、この考え方は正しい。変化が速い時代、とにかく試行回数こそが全て。とにかくやってみれば、いずれ成功に辿り着く。
でも人生においては、そんなふうにやりたいことすぐにやってしまっては、やることがなくなってくる。
僕はもうあまりやる事がない。
起きて、やる事がなく、暇なのだ。
プライベートジェットで高級料理を食べに行ったり、大阪西成の安宿で寝泊まりしたり。雲の上の世界も社会の現実も、この目で見てこの身体で体験したく走り回ってきた。好奇心赴くままになんでもやってきた。
歌手もやった、格闘技もやった、ラーメン屋もサウナ屋もやった。まだやっていないのはAV男優くらいだと思っていたら、この前オファーが来た。流石に断ったが、***なら是非と返事している自分がいた。
NGもなくひたすらやり続けてきたおかげで少しづつやる事がなくなってきた。同じことはやりたくはない。かといって西野さんみたいにディズニーを倒したくもないし、前澤さんのように月にまで行きたいとは思わない。
妻から「アロマ教室にお客さんを集めるためにどのSNSをやったらいいと思う?」と質問された。条件反射のように即答してしまった。
「全部。TwitterもFacebookもInstagramもYouTubeもTikTokも、全部今すぐやる。どれが正解なんて分からないんだから悩んでるこの時間に全部やればいい」。あまりにも身も蓋もない言い方すぎて夫婦ゲンカになった。「あなたがほっつき回って、家のことをやらないからそんな時間ないわボケ」と言われた。
確かに僕の言い方は「沖縄に行きたいなあ」とつぶやいた人に「だったら今行けよ」と言っているようなものだ。「金がないのなら、副業でもして稼げばいいじゃないか」と。
でも実は人間というのは、やりたいけどやれないと思っている時が一番面白いのかもしれない。
沖縄に行きたいけど、お金も時間もない。次の休みには絶対に行きたいと夢見ている時の沖縄が実は一番輝いているのかもしれない。
僕は学生時代から沖縄が大好きで、沖縄に行って海やプールで泳いでビールを飲むのが最高に好きだった。
思い立ったら沖縄に行ける人間になりたい、そうなったら成功だ。そう思って生きてきた。
今、その状態にある。ちょうど昨日も沖縄から帰ってきた。ところがどうだろう。沖縄に行っても一回もプールに入らなかった。サウナに行って飲みにいく。東京にいる時と何も変わらない生活。
一応、申し訳程度に海ぶどうを摘む。今でも沖縄が好きだけれど、もはや日常になっていて、さしたる感動はない。むしろ、行きたくても行けなかった時の瑞々しい欲望が今の自分にとっては貴重なものだと思う。
河村悟の『純粋試行物体』に次の詩が収録されている。
「欲しいものがあった。狂おしいほど手に入れたいものがあった、そのために苦しんだ、そしてあるとき、手に入れたいものを諦めた、放棄した、苦しみだけが残った、あの死ぬほど欲しかったものは何だったんだろう、わたしは覚えている、だが、わたしは苦しみだけを手に入れた。この苦しみが私の生を黄金に変えた」
編集者になりたかった彼が編集者になって死んでいく人生と、編集者になれなかったなと思いながらも、編集者という仕事に輝きを感じたまま死ぬ人生どちらが幸せなのか分からない。
「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」というような言葉を何度も本で読んできた。
実際そうなのかもしれないが、やらなかった後悔、やれなかった切なさも愛おしい。あの時の自分に伝えたい。今すぐやりすぎると、やることなくなる。