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スーパーマラドーナ武智

2014年の話です。 2011年から2012年にかけて関西で賞レースいくつか優勝したり、ザマンザイ決勝行ったりしてそこそこ仕事増えたんですが、そこまでの影響力もなくて、2013年〜2014年にかけてめっちゃ仕事が減りました。2014年の冬、娘と一緒に淡路島で遊ぶロケの依頼が来ました。正直仕事もなかったので娘に申し訳ないなと言う気持ちもありながら、そのロケを引き受けました。行きはロケバスで行って帰りもロケバスで家まで送ってもらう約束でした。奥さんも張り切っていたのか、ロケの為に娘に可愛らしいコートを買って「これ着てロケ楽しんで来て」と娘に言ってました。そして当日、いざロケが始まると娘はカメラや沢山いる知らない大人達に緊張してしまい全然喋れませんでした。何とか頑張ったんですが全然喋れませんでした。でもしょうがない事です。でもその担当のディレクターは娘が喋らないので撮れ高がないと言う事ですごくイライラしてました。そして朝から夕方まで休みなくロケを続けました。本来ならお昼寝もしないといけない年齢だった娘に申し訳ない気持ちでした。そして夕方5時頃ロケが終わりました。娘はもちろん僕もクタクタでした。そしてロケバスに乗り込んだらディレクターに「近くの駅まで送るから電車で帰って」と言われました。そして近くの駅で降ろされ、僕と娘は満員電車の中ギュウギュウの状態で大阪に帰らされました。途中娘が「しんどい」と泣き始めました。そしてストレスなのかなんなのか、鼻血を出していました。買ったばかりのコートは鼻血で所々汚れてしまいました。僕は鼻血を出しながら泣いている娘を抱っこして大阪まで満員の中帰りました。。心底そのディレクターを殺してやりたいと思いました。それと同時に自分の無力さと娘に対しての申し訳なさでいっぱいでした。近い将来必ず結果出して、またそのディレクターと仕事一緒になった時おもっきり殴ってやると決めました。そしてその次の年、M-1決勝に行けました。。怒りは本当パワーになるなぁと、今ふと東京のホテルで1人で飲みながら思い出しました。。それ以来家族はテレビには出さないと決めました。そしてそれ以来、そのディレクターとは仕事が一緒になっていません。でも死ぬまでに絶対一回は殴ろうと思ってます(笑)こうゆう出来事って多分一生忘れないんでしょうね(笑)

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