大江陽象大江陽象 私は今年42歳。1997年に大学生になった年代だ。日本が今に至るデフレに突入した最初の年に高校を卒業し、社会に出た世代。以来、JAZZという音楽にかかわり始めて、早いもので23年もの月日が流れてしまった。ここらで、ひとつこれまでの音楽遍歴を記しておこうと思う。
sunnyelephantのトーク
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- 大江陽象
大江陽象 忘れもしない1997年12月29日。
博多、赤坂バックステージ
年末ジャムセッション
97年春からジャズ研に属してはいたが、、
実際に他人とセッションするのは
片手で数えるほどの経験しか無かった当時、
なぜ、福岡市近郊のアマチュアからセミプロミュージシャンが集うバックステージの年末セッションに行ったのか、、
今となっては思い出せない、、
ただ、非常に精神的に苦しい時期だったのは間違いない。
大学に入って出来た恋人とは、ひと夏の情熱で、秋になって別れを告げられ、、
苦い思い、自己嫌悪、生きづらさの中で足掻いていた。。
何か、、賭けるものが欲しかったのか、?
とにかく、その年末ジャムセッションに
僕は参加した!
何の曲をやったのか、自分が何をしていたのか、全く思い出せないのだけれど、、はっきり言えるのは、僕はそこで何もできなかった
ことは間違いない。当たり前なんだけど。
多分僕は、何にもできないのを、わかっていて、敢えてそこに参加したんだと思う。
何にも無い自分を再確認するために、、
年明けの98年正月以来、
足掛け5年に渡る、
哀れな歪みまくった若者の、
効率の非常に悪いジャズ修行が始まった
それ以来、5年もの間、年間150日以上、博多バックステージに500円玉を握りしめて通い詰めた、、
毎日21時から地元の、アマチュアが練習バンドで出演していて、その休憩時間の合間に1曲、終わりがけに1曲、バンマスの方に頭をさげて、
飛び入りさせてもらっていた。
決して素直で気持ちいい少年ではなかったはずなのに、、切羽詰まった必死を哀れに思われたのかもしれない。、、
当時、快く受け入れてくださった大人達に感謝、、
バックステージのマスターは
怖くて、毎回のように叱られた、、
ありがたかった。。
それにしても、なぜなんだろう??
ジャズという音楽に惹かれていたわけではないのに、、
ただ何かをやりつづけている自分に
ならないと、、日々襲ってくる虚無感や生きづらさに耐えられなかったのかもしれない、、
そうした日々の中、
私がジャズに本当にハマった
あるレコードとの出会いがあった。。
つづく - 大江陽象
大江陽象 1998年正月、突如としてjazzを志した僕は、毎日部室に行ってドラムを練習したり、レコードを聴いたりして何時間も過ごした、、かというと、じつはあまり覚えていなく、、、おそらく今から見れば、やっていたとしても、まったく効率の悪い、的を得ていない練習を毎日していたのだと思う。
人間の精神というのは本当に
幼少期の体験が影響すると思う。
(決して育った環境のせいではありません!)
人間が一番感受性が豊かで、まともに育った人間なら、一番夢中になって練習するであろう19歳-23歳のこの時期に、僕の精神は『劣等感』『自己嫌悪』『他者不信』『自己憐憫』『嫉妬』『甘え』などがごちゃ混ぜになった深い霧の中にいるみたいな時期だった。
なにひとつまともにできなかった。学業もバイトも恋愛もドラムも。。沢山の人に迷惑をかけながら、もがいていた。
その痛々しい純粋さだけを、周りの大人たちは受け止めていてくれたのだろう。。ありがたかった、、
そんな深い霧の中から、見える唯一の希望の光が『jazz』だった。
いまでもはっきり覚えている。当時アルバイトをしていたjazzcafeの常連さんから譲っていただいたレコードの中にあった
『ハーフノートのWINTON KELLY』というレコード
このレコードが僕の運命を変えた。ドラマー、JIMMY COBBが刻みだす、空間の中を永遠に突き抜けるようなシンバルの4beat!!
そのとき僕は『なんだ!!!?これは??!』と思った。
4分音符、こんなにシンプルなことが何でこんなにカッコいいのだ!?
このことがあってから、ますます僕はジャズにのめりこんだといってもいい。
この’謎’を自分の身で体感したい、自分もSWINGしたい!と思った。
JIMMY COBBがいなければ、今の僕の人生は全く違うものになっていたのかもしれない。。
それからというもの、僕は学校に適当に(笑)通いながら、バイトしながら、ひたすらJAZZを聴き、レコードを漁り、JAZZ喫茶に通い、部室で練習し(非常に効率の悪い練習だが)、、そして週に3-4回は怖~い平子マスターがいる、バックステージで地元のアマチュアバンドの練習を聴き、1-2曲合間に練習セッションさせてもらっていた。。もちろん怒られながら、呆れられながら、、
この時期にもし僕が普通の健全な青年だったらドラムの練習に猛烈に取り組み、短期間で腕を上げていたはずだ。でも全くそうはならなかった。。
このことは僕をイバラの道に叩き落とした、、と同時に、大きなプラスを私にもたらしてくれたともいえる、、
当時の僕は(あるいは今の僕も)本心から『プロのドラマーになって毎日いろんな音楽を演奏し、お金を稼げるようなミュージシャンになるぞ!』なんて思ったことは無かった。。。 ただひたすらに『どうやったら、あのJIMMY COBBみたいにSWINGできるのか?』ばかりを考えていて、、いつのまにかロックやファンクなどを毛嫌いし、さらには西海岸の白人jazzまでも『beatが違う!!』と否定するような極端に狭い考えにとらわれていた。。
もし僕がよくいるドラム小僧で、10代からドラマーを志していたら、、こんんなにも深く一つの音楽の美学にのめりこむことは無かっただろう、。だってテクニックがあれば、叩けてしまうだろうから、深く考えなくても、仕事もらえる程度なら、、それでいいし、稼げるならば。。
そうならなくて本当に良かったと、今では思う。健全な精神を持てなかった苦しみは、副作用として、一つの美に狂う狂気を僕にもたらした。
まさに諸刃の刃だったが、、その狂気は僕にとっての大きな幸せに後年結びつくことになる、、