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ちっちゃな頃から潤ちゃん

[裏センター中田花奈] 【裏センター】アイドルグループの楽曲フォーメーションでセンターの後ろ、二列目真ん中のメンバー。センターのパフォーマンスを引き立たせてなおかつ存在感が必要とされる難しいポジション。 2017年12月30日、第59回輝く!日本レコード大賞。この年、乃木坂46は初めてレコード大賞の優秀作品賞に選出された。楽曲は「インフルエンサー」最高難度で一度間違えると二度と立て直せない振付だ。過去最多の21人が選抜入りしたこの曲で3年半振りに選抜復帰を果たしたのが中田花奈だった。 乃木坂加入当初は選抜メンバーだったもののここ数年は長らくアンダーだった。インフルエンサーのようなダンスナンバーは彼女の表現力を最大限に生かす事が出来る楽曲でライブでは中田のパフォーマンスに引き込まれてしまう。選抜復帰の楽曲としてはこれ以上にない楽曲だ。インフルエンサーでの中田のポジションは三列目の上手端。しかし、レコード大賞当日は二列目中央の裏センターにいた伊藤万理華が卒業していたためポジション変更で中田が入る事になった。 中田が入る事に何の異論も無かった。しかし中田本人にとってこのポジション変更は振り付けが変わる事、初の大賞が懸かったステージで圧倒的表現力に定評があった伊藤万理華のポジションに入る事はかなりのプレッシャーだった。レコード大賞前日のレギュラーラジオ「沈黙の金曜日」はレコード大賞に向けた練習のため欠席している。2017年は乃木坂全体としても掲載された雑誌や写真集は飛ぶように売れ東京ドーム公演を達成し、大賞を獲るには又とないチャンス。それだけ乃木坂のグループとしても個人としてもこの年のレコード大賞には並々ならぬ決意があった。 レコード大賞当日、本番。まずは優秀作品賞としての披露。白石西野の間で一瞬ながらも存在感あるパフォーマンス。そこには誰かの代わりではない中田花奈がいた。中田花奈にしか出来ないインフルエンサーがあった。 第59回日本レコード大賞。乃木坂46「インフルエンサー」乃木坂を初期から見てきた自分にとっても感慨深く念願の瞬間。その中心には間違いなく中田花奈がいた。紙吹雪舞うステージで、プレッシャーから解放され自信に満ちた表情でエンドロールに映る姿に、アンダーで苦しんだ時期もある彼女のこれまでを知る者は皆涙した。 白石や西野のようなセンターに出るタイプとは違う。しかしステージでの存在感は間違いなくある。「アイドルはパフォーマンスしてなんぼ」という言葉が本当なら彼女は正真正銘のアイドルだ。一方でFM FUJI「沈金の金曜日」ではお笑い芸人アルコアンドピースの悪ノリに乗っかってしまう親しみも持てるお嬢様。誰よりもブログを更新しモバイルメールを送り続けアイドルとして様々な顔を見せてくれた。 アイドルグループというのはセンターだけでは成り立たない。 センターを支えるメンバー、引き立たせるメンバーがいてグループ全体が魅力的なものになる。 誰からも愛される乃木坂の裏センター中田花奈。 その姿は多くの人々に勇気を与えた。

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ちっちゃな頃から潤ちゃんのトーク
トーク情報
  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    削除されたユーザー削除されたユーザー

    いま、乃木坂のグループLINEを退会しました。いやー寂しくて泣いてます。

    そしてここ755も
    1時間後くらいに
    アカウント削除しますね^^

    まだ先のこと決まってませんが
    いったんはInstagramのみになるかと…
    今までありがとう!

    コメント、DM、Twitterの #kazumingram  楽しみにしてるね☺️
    じゃ、またね!

    480
  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア
    カフェテリアです。 明日の「生島ヒロシのおはよう一直線」にメール出してみるのも良いかもです。 「昨日の山崎怜奈さんの印象どうでしたか?」みたいな。私も気になってます。

    マスターこんばんは。

    今日の生島さんとのお話は山崎怜奈さんにとっても非常に勉強になる事が多かったと思います。

    早速おはよう一直線にメールしました。

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア高架線のカフェテリア

    #1585『山崎怜奈論 Break a leg』前編

    2022年6月13日(月)13:01
    TOKYO FMの生放送にて
    山崎怜奈、乃木坂46卒業が発表された。

    彼女がその決断に至る迄の3年間を振り返ると共に、これからの山崎怜奈の航海にエールを。

    (2021.9月改訂版)

    人気アイドルグループ『乃木坂46』を大きく2つに分けると、それは「選抜・アンダー」という枠組みになるだろう。「選抜」という存在は主に「メディア組」でTVのレギュラー番組、そして音楽番組に呼ばれる組のこと。そして「アンダー」はそれ以外での活動、または選抜の代打出演を担当する。だが、その根底を覆したメンバーが居る。それが山崎怜奈である。これまで「選抜=メディア組」であった定説を、アンダーである彼女がひっくり返したのだ。彼女は如何にして今のポジションへと辿り着いたのか。その歴史を紐解いて行く事にする。

    そんな山崎怜奈は約3年前、
    乃木坂46を辞めようと決意を固めていた。


    山崎怜奈。1997年5月21日(25歳)
    東京都出身。慶應義塾大学卒業。
    乃木坂46第2期生。れなち・ザキさん。
    2022年7月17日を以て乃木坂46を卒業。

    2013年3月、乃木坂46第2期生オーディションに合格。だが当時は研究生からのスタート。自分のキャラじゃないけど客観的に人気が出るのは「アイドルらしく」居る事。その為の努力は何でもした。時に同期から「ザキはあざといね」と言われる程に。彼女もまた王道アイドルを目指していた。そして2年後に正規メンバーへと昇格出来たものの、アンダーでの恒例のポジションは3列目の一番端。それでも頑張ろうと思った。大好きな勉学もちゃんと努力すれば頑張った分だけ結果は必ず付いてくる、そう信じてたから。そして2017年3月、念願だったアンダー初フロントに選ばれた。握手会でも全30部をフル完売する事が出来た。ようやく乃木坂の活動に少しだけ自信を持てた瞬間であった。

    そんな矢先のこと。

    2018年1月アンダーベストAlbum「僕だけの君」の個別握手会。その全会場で全完売を達成したのは寺田蘭世・山崎怜奈の2名であった。そして、同年4月の20th.Single「シンクロニシティ」にて寺田蘭世は選抜復帰。だが、山崎怜奈の名前は呼ばれる事は無かった。乃木坂に入って、初めて完全に心が折れた。自分に出来る事は何でも取り組み、握手会で結果も出したのにその努力は報われず目の前のボーダーを越える事は出来なかった。何が正解か分からなくなった。ただ思うのは「私は乃木坂に必要のない人間なんだ」という自己否定。同期の渡辺みり愛に泣きながら相談した事もあった。眠れぬ夜も続き、悩んだ末に出した答えは「卒業」の選択肢だった。それを運営にも伝え許可を貰い、当時大学3年生であった為、一年後の就職活動に向けて情報収集や資料を集める程その決意は固まっていた。そして2019年、乃木坂46の4th.Album「今が思い出になるまで」ではいずれの収録曲にも呼ばれず。その頃には悔しさより「参加してないのに宣伝だけしてる私って何なんだろう」と虚しさだけが漂っていた。そして気付いた。私は乃木坂でもなくアンダーでもない"じゃない方"なんだと。

    だが救いの糸が舞い下りる。2019年5月、ひかりTVにて初の冠番組「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」がスタートした。この番組の話がなかったら、卒業発表していたと語る。趣味にしていた歴史の番組MCを担当出来る喜び、そして何よりこんな私を必要としてくれる番組スタッフへの恩返しがしたいと、一回一回の収録の準備を寝る間も惜しんで取り組んだ。番組は一年に渡って続き、終了後も同スタッフと共に「乃木坂46山崎怜奈とおはつちゃん」がスタートし徐々に山崎怜奈=MCとしてのイメージが定着する。

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア高架線のカフェテリア

    #1586『山崎怜奈論 Break a leg』後編

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

    2022年現在。山崎怜奈の現在のレギュラー番組はTOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」が週に4本、CBCラジオの箱番組「乃木坂46山崎怜奈の推しの1コマ」、テレビ朝日「春菜ザキさんのただの通販じゃねーよ!」、そして準レギュラーとも言えるテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」。つまり週7本のレギュラー出演をこなしており、まさに乃木坂のメディア組筆頭とも言える存在になった。加え2021年2月には初の書籍「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」を発売。6月には27th.Singleのアンダー楽曲「錆びたコンパス」で初のアンダーセンターを担当。そして8月Hanako.tokyoにてエッセイ「乃木坂46山崎怜奈の言葉のおすそわけ」、2022年1月幻冬舎plus「山崎怜奈と「学ぶ」を考える」の連載を開始した。筆者はこの経歴を書きながら改めて感じた、今の山崎怜奈はどう考えても「売れっ子」のスケジュールであると。


    それでも彼女は一度も"選抜入り"を果たせなかった。では何故、アンダーであった山崎怜奈がここまでの大躍進を成し得たのか?それは、彼女の「愚直なまでの好きという趣味への"探究心"」と「圧倒的な"準備力とレスポンス力"」の2点であると考えられる。今ここに辿り着いた山崎怜奈は、新たな武器を見つけ磨き上げ独自路線を開拓したというより、元々あった「歴史・クイズ・ラジオ」という趣味に傾倒する道を選んだという言い方が正しいのかもしれない。より等身大を曝け出す事で。勿論、ここに辿り着くまでには多くのトライ&エラーを繰り返した。多い時で週25番組をチェックする程のラジオ好きな彼女はリアルタイムでトークアプリ755を更新し、それがきっかけとなり番組に呼ばれる機会も増え、それらの点は線となり、気が付けば昼ワイドのパーソナリティーを任され、今では多くのレジェンド達にも認められる程にラジオ界をザワつかせる期待の新星となっている。

    多人数グループであるが故の宿命「選抜=勝ち組」というこの15年の習わし。それは乃木坂46も例外ではなく「選抜メンバーとして運営に認められ活動し広くに顔と名前を売り、それがきっかけで個人としての仕事に繋がって行く」がこれまでの方程式であった様に思う。だが山崎怜奈は「決して選抜だけが、夢を叶えられる道ではない」と新たな生き方を提示してくれた。そんな彼女の功績は大きい。

    乃木坂46加入から9年半。今の山崎怜奈を見ていて思うこと。大切なのは、自分以外の何かになるのではなく、自分の持っている何かを追求する事。そして彼女の生き様は教えてくれる

    「立ち止まってるより 前へ進め」

    "かつての"じゃない方
    バナナマン設楽、オードリー若林
    南キャン山里、博多大吉、麒麟川島....
    今では揺ぎないポジションを確立しており
    寧ろ業界を牽引する存在にすら成っている。

    もしかしたら、彼女もまたそんな存在へと成り行くのではないだろうか。もしかしたら選抜、いやセンターが世間に与える影響を、今の彼女の活躍は成し得ていたのではないだろうか。私はそう確信している。

    山崎怜奈とは、下町の万華鏡。
    流行りじゃないけど価値あるもの
    多面性があり、色んな角度から見ると
    その本当の輝きに気付く。

    そしてその魅力は常に変わり続ける
    彼女が覗く景色は、きっと美しい。

    相変わらずめちゃくちゃ不器用でも
    どこにいようと何歳だろうと関係なく

    そのコンパスの先は、彼女らしく輝く。

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア
    カフェテリアです。ダレハナ面白かったですね。お時間ありましたら今夜のラジオ大阪「サクラバシ919」にメール送ってみて下さい。山崎怜奈さんの印象どうでした?とか。きっと読まれると思います。

    ダレハナ面白かったですね!

    さすがザキさんです。

    その日の夜のサクラバシ919も聴いてみましたよ〜
    メール送ってた人も多かったですね。