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吉田真悟
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説明 内容紹介 今わが国ではイタリア料理が隆盛を極めていますが、つい最近までパスタ料理が一括りにスパゲティと呼ばれていた時代があったのです。 現在はパスタを硬めに茹でる“アルデンテ”が常識ですが、当時は押し並べて柔らかめに茹でたスパゲティを提供し、中には一度茹で上げた麺をフライパンで炒めて出していた店もあったのです。 本書はそんな時代にイタリア料理店に入社し、下積みから始め、遂には世界から絶賛されるまでになった山田宏巳氏の自叙伝です。 山田氏は一流ホテルの出身ではなく、著名シェフに師事したこともない、所謂料理界のエリートコースを歩んできたわけではありません。本書で明らかにしているように“アルデンテ”も知らなかった修業時代から、創意工夫の積み重ねと現場感覚を大切にしてこれまでのキャリアを培ってきました。持ち前の好奇心とバイタリティが時には事故や事件を引き起こしましたが、誠意を尽くして乗り越えてきました。 山田氏を慕うシェフは全国に大勢います。一般的に、職人や料理人の世界で自分の技術を人には簡単に明かしませんが、山田氏は培ったレシピをオープンにし、その結果、彼が育てた多くの料理人は今やそうそうたるシェフとなって、日本の料理界を牽引しています。 本書は、先の見えなかった修業時代から恩人たちとの出会い、イタリア留学、どん底に落ちた不遇時代など、起伏の激しい山田氏の半生と料理の冒険譚を余すところなく紹介しております。 どんなピンチにも蝶がひらひら舞うように乗り越えて行くしなやかな山田シェフの生き方を堪能くださり、人生の糧にして頂ければと願っております。是非ご一読ください。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 山田/宏巳 リストランテ・ヒロソフィーオーナーシェフ。1953年1月27日東京浅草生まれ。新潟市のイタリア軒、新宿高野、虎の門ハングリータイガー等に勤務。1980年ビザビ(東京・青山)の総料理長に就任。1982年イタリアへ留学し、2年後に帰国。1985年「バスタ・パスタ」開店と同時に総料理長に就任。1989年「ヴィノッキオ」開店、1994年フジTVの番組料理の鉄人に登場、キャベツで勝利。1995年「リストランテ・ヒロ(東京・南青山)」をオープン、総料理長に就任、2000年沖縄サミットにてイタリア国・アマート首相のプライベート料理を担当、2009年「ヒロソフィー」を麻布十番にオープン、同店はその後、銀座・交詢ビルの4階に移転(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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