ikutamaのトーク
トーク情報ikutama 見城徹見城徹 ↑ 懐かしい[新宿ゴールデン街]。
20代の頃、一番通ったのは「トートの書」。ずっとビートルズがかかり、サントリーホワイトかサントリー角瓶を水割りで飲んだ。焼きうどんが凄く美味しかった。客は小さな出版社の編集者や雑誌のフリーライターが多かった。他に行ったのは「まえだ」と「花の木」。「まえだ」は田中小実昌がほぼ毎夜、酔っ払っていて、僕は中上健次、立松和平、高橋三千綱、水上勉、佐木隆三、唐十郎らとよく行った。「花の木」は佐木隆三の離婚した奥さんが開いたバー。だから、佐木隆三と一緒に顔を出した。新聞配達をしながら執筆した[復讐するは我にあり]が直木賞を受賞した当時は、勢いづく佐木隆三とゴールデン街の梯子をしたものだ。どこの店にも出版や映画・劇団関係者がウヨウヨいた。売れない作家や映画監督と議論するのが楽しかった。デートも仕事も憂さ晴らしもゴールデン街。朝帰りも当たり前だった。あの頃、ゴールデン街はエネルギーに満ちていた。ikutama 見城徹見城徹 ゴールデン街の近くに忽然と現れた[アンダンテ]も忘れられない。ママの「なっちゃん」は純文学に詳しい美人だった。
野間宏の恋人と噂されていて、確かに野間宏がよく飲んでいた。僕は中上健次、水上勉と行く回数が多かったが、一人でもよく通った。ある時期から柄谷行人の姿も見るようになって、柄谷行人ファンだった僕は
震えながら話しかけた。[アンダンテ]は残念ながら3年ぐらいで店を閉じた。
なっちゃんはどうしているか?と気になっていたある日、なっちゃんと西新宿で出くわした。何となっちゃんは柄谷行人と結婚して(後に離婚)、女の子を産んでいた。びっくりしたが妙に納得が行った。これだから人生は面白い。- ikutama
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当時のゴールデン街について調べ、想いを馳せています。
混沌としたエネルギーがぶつかり、混ざり、また分離する。そういう人間ドラマを経て、いくつもの作品が生まれていく。
Wikipediaによれば、1960〜1970年代前半のゴールデン街は、文壇バー、ゲイバー、ボッタクリバーの3つに分類できるとも言われていたが、徐々に文壇バーが増え、作家やジャーナリスト、編集者、映画関係者らが集まり、熱い議論や喧嘩を繰り広げる場所として賑わった。やがて新宿文化の中心地となり、「文化人たらんとする人間にとってゴールデン街に馴染みの店を持つことは必須」とまで言われるようになった。
馳星周(小説家):
とにかく熱気がすごかった。10席しかない店に30人くらいのお客さんがいて、暑いし、トイレに行くのもひと苦労。ただ、本好き、文学好きが集まるお店だったので、みんな生き生きしていました。
佐々木美智子(ひしょう店主):
「ゴールデン街のママは、みんな気が強くてねぇ。みんなママたちに一目置いて慕って店に通って来ているから、言うこともちゃんと聞いてくれるのね。客も一癖ある人が多くてしょっちゅう喧嘩していたけれど、『うるさい!外でやんなさい!』って言うと、ちゃんと表に出ていくの。どうしたかな……なんて思った頃には意気投合していて肩組んで帰ってきたりしてさ。ママに叱られても気に入って通ってくれる常連がちゃんといたから、商売していて変な目に合うこともなかったんだよね」



