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風を吹き込んでくれたリトーク
トーク情報
  • BIG Basslover(イシイ)
    見城徹見城徹
    Katharine
    65歳まで生き延びた見城さんおはようございます^ ^ 言いたくないけど私もそこそこ生き延びています。でもまだ生きたいと思ってしまいます、こんな輝く朝には。 世界は愛おしいものであふれているから、あとしばらく楽しみ続けたいし熱狂していたい。ロッケンロールと笑い飛ばしたい。 見城さんと出遇えて良かった、 なんて、最近観た映画と最近読んだ本に影響されて言ってみました^ ^

    世界は美しいもの、愛おしいもので溢れています。しかし、人間はたかだか100年を生きて死んで行きます。自分が死んでも世界は続いて行くんですね。だから、歓喜があり、感動があり、悲しみがあり、絶望があります。「時間よ止まれ、おまえは美しい!」と言うのはゲーテの戯曲の世界だけです。現実には「自分は死んで行く、世界は美しい!」なんですね。かつて21歳の僕が憎悪した世界にも美しいもの、愛おしいものは沢山ありました。生き延びなければ解らなかったことです。
    最後に微かに笑って死んでいくために、この世界を受容したいと思います。
    「時間よ流れよ、俺だけが死んで行く!」。

  • BIG Basslover(イシイ)
    見城徹見城徹
    秋元康
    「これほどの努力を、人は運と呼ぶ」 見城さんから教えてもらった言葉です。 結局は自分との闘いですよ。これでいいのか?もっと、よくなるんじゃないか? 納得できるまでやり続けるしかないですよね?

    僕も仕事をしていて、いつも思います。まだ良くなる。まだまだ良くなる。もういいや、と思ったら終わりだよね。頭がそのことで沸騰してる。食べていても、寝ていても、人と会っていても、移動していても、トイレに入っても考えている。もっと良くなるんじゃないか、と。最後の最後まで粘る。最後の最後まで諦めない。手を離れてからも、ああすれば良かった、この手があったかも知れない、と考え続ける。
    「これほどの努力を人は運と呼ぶ」。
    実感ですね。

  • BIG Basslover(イシイ)
    見城徹見城徹

    ですから、「マチウ書試論」を文献的、テキスト的に読んでも意味がありません。今を生きる自分の葛藤する問題そのものとして読むべきです。それこそが[暗闇の中でのジャンプ]です。

  • BIG Basslover(イシイ)
    見城徹見城徹

    9月26日、中野量太脚本・監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」の試写を観た。
    映画を観ながら、ここまで身体を震わせて号泣し、異様な感動に包まれたのは初めてかも知れない。余命2ヶ月の母親の、胸が詰まる悲しい物語なのに、衝撃のラストシーンに慟哭しながら、清々しい気持ちに満たされる自分がいた。
    日本の地方都市のありふれた無名な家族の営みが丹念に描かれる。
    余命2ヶ月を宣告された母親が夫や子供たちにどのような生き方を示すのか?つまり、どのように死んで行くのか?小さな生きる営みの一つ一つ。そこら辺の路傍の石の一つ一つが宝石のように輝きを放ち始め、大きな光の渦となる。死にゆく者が生きる者たちへ放つ強く、凛々しく、優しい眼差し。死にゆく者が全身で照らし出す、一歩も引かない生きることへの覚悟と決意。
    母親役の宮沢りえの圧巻の存在感。娘役の杉咲花、伊東蒼の健気さと純情。夫役オダギリジョーの愛すべきチャランポラン。家族に絡む松坂桃李、駿河太郎、篠原ゆき子に滲む人生の味わい。
    低予算で作り出した奇跡としか形容出来ない圧倒的な映画。
    脚本・監督の中野量太とスタッフと製作陣、出演者たちに腹の底から呻くような絶賛の嵐を送ります。
    これが映画だ。
    ブラボー! 有難う!

  • BIG Basslover(イシイ)
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 僕は「悲の器」で観念の果ての果てまで連れて行かれ「マチウ書試論」でその思考を粉々にされました。「悲の器」は観念の宿命を描き切っています。そこに[行為]が加わると「邪宗門」になります。「マチウ書試論」は難解です。何百回読んでも[関係の絶対性]は掴めたようでスルッと逃げて行きます。しかし、「観念」の最終形は死をも厭わない[関係の絶対性]だとするなら「新約聖書」の作者が引き受けなければならなかった「現実」の残酷さに、即ち人間の営みのどこまでも深い暗さに、慄然とするしかありません。

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  • BIG Basslover(イシイ)
    みほぶーみほぶー

    昨日は丸の内に出かけてきました。

    私はかなーり見城さんLoverの1人と自負していましたが、あのブースに見城さんがいらした途端に皆さんの熱量がグッと強く高くなったのを感じ、私ごときがLoverなどと思ってはいけない、と自己嫌悪。

    個体の掟
    よく見城さんから教えていただく言葉です。
    昨日はようやくほんの少しだけ理解できた気がします。
    自分の法律を作ってその法律に従って生きる、決してぶらさない。
    その法律の基本にはGNOがくっきりと基本として脈々と流れている。

    言葉にすると簡単ですが、行うことのなんと厳しく恐ろしいことか。
    周りに何を言われようと力で、結果で、ねじ伏せていく、それこそ誰にもみえないけれど傷だらけで匍匐前進で。

    見城さんがやられてきたことをサラリとお話しになるのですが、我が身に置き換えてみるとなんと凄まじいことか。

    やるか、やらないか。

    恥ずかしいけど私はまだ「やる」と言えない。
    見城さんほどの圧倒的努力をやる、
    と言えない。

    せめて私にできる小さな小さな個体の掟は守りきる事だけ心に約束しておこう。

    「大きな結果を出している人はそれこそとんでもない努力をしてきているんだよ。
    三木谷は3日で一足靴を潰した、藤田は1日100軒の営業をした。」

    ここまでの努力をしていないから私はここにいて、そこまでの努力を若き頃からしてきた人がいて。そしてそこには結果があって。

    何度もここで伺ってきて、本でも何度も拝読してきた事だけれど、昨日はくっきりと意味を見せつけていただきました。
    (すでにその輪郭を掴み取り、行動している方もいらっしゃるのに私は「ここ」にいたのです、その位置すらもようやく理解しました。)

    これほどの人でも
    「間違えていれば俺は"ごめん"って謝るよ。」
    「いつもくよくよして、小さな小石につまづいてる」
    「講演会なんか行くともう3日くらい仕事ができなくなる」

    大石さんがおっしゃっていた
    「すごい人なのに小さな事を気にする方」
    で、箕輪さんのおっしゃる
    「親分」

    「見たこともない、想像すらしたことのない景色を垣間見せてくれる、そんなところがある事を教えてくれる上司」

    まだまだ言い足りない。

    見城さん、素晴らしい時間をありがとうございました。

  • BIG Basslover(イシイ)
    みほぶーみほぶー

    昨日のようなイベントに参加すると長い時間、自己嫌悪から這い上がれないんだけど、
    「わたくしはわたくしの戦いを」
    するしかない。
    与えられた場所でほんの小さな場所で私の小さな花を咲かせるしかない、
    誰が見ていなくても。