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見城徹

69年生きて来て疲れていないと言ったら嘘になる。疲れた。僕にとっては辛い戦いの連続だった。辛うじてまだ生き残っている。今はコロナ禍だ。書店は営業時間を短くしているし、何よりも書店に客がいない。僕の性分で最悪を考えて様々な手を打っているが、それが思惑と外れて来ると追い詰められた気分になる。最近はそれが続いている。キツい。しかし、諦めない。まだまだ策を繰り出す。今は負けが込んで来たが、その内、倍返しだ。正面突破!

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    小糸製作所の工場の小さな社宅のアパート。清水を出るなんて思ってもいなかった。初恋、受験勉強、友人との確執。唯一の慰めは音楽と本だった。遠い日のあの頃。ダメだ。涙が出て来る。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    高校卒業式の日、ようやく実った初恋の彼女と折戸の海の浜辺を三保の松原に向かって歩いた。それが初めてのデートだった。あんなに幸せだった時はない。潮風に揺られて彼女の長い髪が僕の頬に触れる。幸せ過ぎて切なかった。
    50年が経った。あの浜辺をもう一度彼女と歩きたい。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1977年1月、中上健次の運転でロスアンゼルスからメキシコのティファナに向かった。途中サンディエゴのラホヤの海に面したイタリアンでランチをして、街を散策した。初めて見る西海岸の高級リゾート地は夢のような世界だった。サンディエゴは時間がゆっくりと流れ、暖かい日差しを浴びて沢山の人がランニングをしていた。それがジョキングというライフスタイルだとこの時に知った。メキシコとの国境を越えると豊かさから貧しさへ道も風景も一変した。夜のティファナは汚くて臭くて混沌とした街だったがエネルギーに溢れていた。中上健次はティファナを大いに気に入り、メキシカンたちと肩を組んでテキーラを飲んだ。40年前の新宮、ソウル、ティファナ。中上健次はその3つの場所によく似合った。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年9月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    女将には頭があがりません。

    狼同士なのでたまに物凄い勢いで噛みつき合う時もありますが、本当に感謝しかありません。