yuki高校生の時にこころを読み、やるせない後味の悪さを感じ先生とKのどちらにも共感出来ませんでした。世間知らずで無知だった私にはなぜの連続でした。大人になり相手にもいろいろな葛藤や良心の呵責があるのかもしれないと思うように。自分の中に利己的な部分を感じる時は、踏み絵のような役割を果たしてくれている気がします。決して清廉潔白な人生ではないけれど、後ろ暗い思いにならぬようにが自分の行動基準だったりします。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 [コンフィデンス JP プリンセス編]はやっぱり今回も面白かった。今回はコンゲームの要素は少し薄まって、感動の物語に仕上げた感じだ。その分、ダー子という人間が彫り上げられて、関水渚が演じるコックリにも感情移入が出来た。素晴らしかったのはトニー役の柴田恭兵。このエンタテイメントの極地のような映画の中で人間という摩訶不思議な存在を演じ切っている。柴田恭兵の存在がこの煌めく映画に人生の哲学を一本、ガッチリと通している。
クレジットも終わった最後に何故、つかこうへいの[蒲田行進曲]のラスト・シーンで終わるのか?この映画の本質を表そうとしたのか?次作の予告編のようなものなのか?脚本家か監督が演劇が大好きなのか?確か前回の[ロマンス編]もそうだった。見城徹 死ぬために生きる死ぬために生きる ![投稿画像]()
答えがないという答え。
まずもって見城さんとミノさんが並ばれているというのは、僕にとって本当に何物にも何事にも変え難いカッコよさがある。
今回も毎度ながら心を激しく揺さぶられた。やはり慰撫と鼓舞がある。
時事問題である自民党の党役員人事や閣僚人事のお話から、石原慎太郎さんとのお話、編集者と著者の関係の切り結び方、郷ひろみさんとの[ダディ]お話から伺い知れる表現の本質やキラーカードの意味と切り方、事件や現象の作り方、人としての生きる上での王道や3種の神器、そして見城さんのまっすぐなミノさんやReHacQへの思い。
話の流れも見事と言う他ないし、見城さんもミノさんも圧倒的な他者理解や裏打ちされた言葉があるので、心地よいリズムで会話が続いていく。
ヒットや結果を出すにはそれ相応のことが必要。
生きてきた集積でしか結果は出せないし、人とは付き合えない。本当の関係は築けない。
見城さんが熱狂し、苦しい方へと身を捩り続けてきたからこそ、著者やご友人の皆様との内臓を擦れ合うご関係がある。
僕には「コイツだから何かをしたい」と思わせるようなものがあるか。
人に刺さる、真芯を貫く言葉を持ち、共鳴し合う関係を築くことができるか。
自分の腑抜けた生き方が鋭利な刃物となり自分の心に突き刺さる。
何者かとは、自分の人生を生き抜き、突き詰めたところにあると最近になって気づいた。
僕は見城さんにもなれないしミノさんにもなれない。
弱すぎる僕の心からズルやまやかしを無くし、一切の適当、アバウト、安易、小手先、その場凌ぎを排除する。
自己検証、自己嫌悪、自己否定を忘れずに、善良に、誠実に、正直に、真心込めて生きる。
31歳と3カ月。死と終わりをテーゼし、どれだけ内から湧き上がる熱狂から逃げずに今を生きることができるか。
編集者でも、ビジネスの世界に身を置く者でも、サッカー選手でも、人として生を受けた全ての者にとって必見のご対談。
子が大人に、王子が王に、少年が大人にならざるを得ない必然的な政治の残酷性も、野心から2人の天才に焦点を当てた見城徹という天才のお話も、僕の心には深く突き刺さった。
見城さんとミノさんの内臓を貪り、鮮やかな黒い血を啜り、無へと還るために今日も夜の練習へと向かい、食事を摂り、歯を磨き身体のケアをして目を瞑る。
痛いほどに、叫びたいほどに、悔しいほどに、苦しいほどに、僕は見城徹に魅せられている。- 見城徹
見城徹 ↑ 劇的に人生が変わるのは40歳からだ。少なくとも僕の場合はそうだった。30代で直木賞受賞作品を5つ出した。[月刊カドカワ]の編集長を引き受けて、部数を30倍にした。書き出せばキリがないほどの結果を叩き出して来たが、本当に人生が充実したのは40歳からだった。42歳でKADOKAWAの取締役を辞して幻冬舎を設立した。そこからだ。僕の第2の人生が始まったのは。それまでは準備期間に過ぎなかったことを実感することになる。
ゼロからの出発。暗闇の中のジャンプ。圧倒的努力。正面突破。たった一人の熱狂。岩が割れた。山が動いた。
30代は何をしていてもいいと思う。40代で全てをゼロに戻す覚悟さえあればそれでいい。疾風怒濤の30代を経てゼロに戻せるか?31歳はまだまだ若い。30代で無茶をやれ。無理を通せ。がむしゃらに生きろ。生きてさえいれば勝負の40代が来る。
ゼロから始める。人生はそこからだよ。


