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藪 医師(中山祐次郎)

何者でもなく、空手(からて)であった34歳の私に「もの書き」という立場を下さったのはもう7年前のこと。「赤字を承知で」は、ビジネスのビの字さえ知らないただの若手医師だった私にも、うっすら感じることができました。そのころ、思ったものです。私は仁義を重んじて生きたい。そのためにできることはなんだろうか。贈り物か、心を込めて書いたお手紙か、日々の755の拍手か。それらも大切なこと。 そして私は思いました。 「もの書きとして、めちゃくちゃ面白い本を書き、お金という面で恩を返したい」 これが最も難題で、果てしなく遠く、どこから手をつけていいか分からなかったから、これを選びました。それでもえいやと手をつけて書いた小説は幻冬舎編集者の小木田さんに酷評。傷つきながらも、「これしきで傷つくとはなんと傲慢な自分」と歯ぎしりをして書いた2作目は、原宿駅前のカフェでボツの宣告。ショックを受けすぎて今でもフラッシュバックするため原宿には行けませんが、それでもかすかに見えた光明を頼りに書いた3作目。「泣くな研修医」とタイトルがつき、世に出ました。そしてシリーズを書き連ねるにつれ、またしても見城さんのお力で連続ドラマ化、そして一気に刷数が増えました。またしても見城さんに返さねばならないご恩が、しかもこんな大きなものが出来てしまった! これからも、恩返しをさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

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トーク情報
  • 藪 医師(中山祐次郎)
    森貴代江森貴代江
    投稿画像

    見城さん、そしてお越しくださった皆様。

    キューバ・サンド・ナイトにお越しくださりありがとうございました!

    思い返すと約1ヶ月前に見城さんがシェフという私の大好きな映画をご覧になったという投稿から全てが始まりました。
    見城さんと共通の話題が出来たことが嬉しくてリトークし、自分たちのYouTubeの話を書きました。
    するとあれよあれよという間に、今回開催された夢のような会を企画していただく事になりました。

    見城さんに喜んでいただくにはどうしたらいいか。。。毎日毎日藤井と2人で映画を観ながら話し合いました。

    どのメニューを再現しようか。
    どの構成にしようか。
    提供する順番はどうするか。
    食材はどうやって手に入れようか。
    お店の雰囲気をどのように作り込めば、見城さんや皆さんが"シェフ"の世界に入ったように感じてもらえるのか。

    見城さんが普段は絶対召し上がらないであろうキューバサンドを美味しく楽しく召し上がっていただきたい。

    その気持ちだけで準備させていただきました。

    昨日はもう緊張で私も藤井も少々頭がおかしくなりそうでした🤫笑

    でも見城さんの笑顔と皆さんの反応を見て、心から安堵しました。

    大好きな見城さんと、大好きな映画のシェフの世界を一緒に過ごせるなんて。。。準備の時間も含めて、私には最高に至福の時間でした。

    このような機会を作ってくださった見城さん、そしてまとめてくださった吉田さんに心より御礼申し上げます。

    本当に楽しく幸せな時間でした。
    ありがとうございました!

  • 藪 医師(中山祐次郎)
    藪 医師(中山祐次郎)

    本当に、狂気のキューバナイトでした。見城さんに義理を尽くす森さんと藤井さんのお姿は美しかった。ああ、自分もこうやって生きたい、こうやって生きなきゃ、と絶品のキューバサンドを頬張ったのです。皆さんの感想やコメントには敵いませんが、一昼夜経った今でもまだ口の中にポークとピクルスの競演が残っています。うう、また食べたい!!!!!!!!

  • 藪 医師(中山祐次郎)
    見城徹見城徹

    ↑ 藪医師とは755で知り合い、僕が彼の処女作を出版した。編集担当は小木田女史。755が結んだ藪医師との縁である。医療現場で悩み、葛藤していた無名の誠実な医師は仕事を続けながら今やベストセラー作家である。
    藪医師が投稿したちょっと艶っぽい俳句への僕の返歌を思い出す。

    松林 松茸採らず 栗採りす

  • 藪 医師(中山祐次郎)
    藪 医師(中山祐次郎)

    約2ヶ月ほど、755に低浮上ですみません。
    親が倒れ、妻の仕事がとてつもなく激務になり、子が保育園を休まねばならず、医業も追い込まれる状況で、タフな時間を過ごしておりました。そういう時に限って創作意欲は強まるのですが、本当に書く時間が無くなったのは人生で初めてのことです。いただくメールのお返事まで滞っていました。
    起きていることはすべて正しい。誰もが、苦しい事情を抱えて切なく生きている。そう自分に言い聞かせています。なんだか泣きごとを喚いておりますが、まあそれでも楽しげにやっています。
    結局のところ、苦しいか苦しくないかを決めるのは自分だけ。この状況を、「あの頃はどう自分を保っていたのか、まったく憶えていない」とかなんとか3年後に自慢しようと思います😊

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