前章では、『死海文書』の予言と、それが現実化しつつある現状を見そこには確かに、「地上の物はみな」「大いなる禍の中に亡び去る」との断定があった。
では、未来には、亡びの道しか残されていないのだろうか。
そうではない。確かにおそるべき予言ではあるが、そこに一抹の救いがないわけではないのだ。
たとえば「宗教要覧」には、次のような一節がある。
「およそ、立法の会議から離れて、自分達の心のかたくななままに歩んではならない。
その時は、彼らは共同体の人々が初めに教えられた第一の掟によって裁かれる。
アロンおよびイスラエルのメシアが現れるまで。」(第9章9~11節)
終末の際、ユダヤの民は「律法の会議(神に啓示され、宗団が伝え発展させた律法の伝統)」から離れて、勝手なことをしてはならない。もしそんなことをすれば、ユダヤの民といえども「掟」にしたがって裁かれる。と、ここにはあるのだ。
言い換えれば、宗団の規律、すなわち神の裁きの掟は、全人類にとって、終末まで有効であるということを意味する。ここでいう、「終末の時」とは、「アロン及びイスラエルのメシアの現れる」時をさす。
つまりハルマゲドンとは、恐るべき破局であると同時に、2人のメシアの出現する希望の時でもあるのだ。
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