
久々原仁介のトーク
トーク情報久々原仁介 モリカツモリカツ 「海のシンバル」読了しました。
感想を書きます。【ネタバレ含む】
まず感じたのは、作品全体に渡って久々原さんの熱量が刻まれているという事。それは単に素晴らしい作品にしたいという事だけではなしに、作品の一字一句に至るまで、自分の持てる技量と感性を込めずにこの作品を世に送り出すことは出来ないという決意にも似た強い思いがあったのではと私には感じられるのです。何故なら、作品中の一つのセリフ、一つの描写が、あまりに高密度だったから。そう簡単には書けなかったと思います。まさに命を削るような作業だったのではなかったでしょうか。
では、物語の具体な感想に移りましょう。読んでいる間、ずっと感じていたのは、何かのきっかけであっという間に全てが壊れてしまうような、そんな脆くて儚い世界観と、時に青く、時にグレー、そして時には黒く思える海の色でした。
気送管を通じた磯辺さんと少女Rさんのやり取りを通して、磯辺さんは少女の境遇を知り苦悶します。既に自らの70%は失ったと語る少女に対して、何の助けにもならない自分の無力さを感じつつ気送管に届く少女からの手紙を待つのです。
読んでいると、まるで運命の歯車が緩やかに、でも確実に破滅に向かって進んでいくようです。正直に告白すれば、少女からの手紙を待っているのは、歯車の停止あわよくば反転を願う私自身でした。
しかし、それは叶わぬ思いでした。やるせない気持ちを覚えつつ読み進めると、少女が託した封筒の裏にあった言葉に救われます。気送管でのやり取りは彼女にとって光だったんですね。
彼女は自分の70%を失った後も少しずつその範囲を広げながら破滅に向かっていたのだと思います。でも、磯辺さんとの気送管を通した触れ合いは、間違いなく彼女の救いとなり、破滅に向かう運命の針の進みを遅らせた。
彼女が帰って行った釜石の海は何色だったのでしょうか。そして、何事も無かったかのように今日も海は佇んでいる。そんな事を思いながら、今、読了後の感慨に耽っています。
私の感想はこんな感じです。
最後に、石川啄木さんについて補記しておきます。しらしらと、静かに海が…の書き出しが私にとって衝撃で、こんな日本語があったのかと思って調べてみると、石川啄木さんの作品にしらしらと氷輝き…という詩がありました。そして、重要な舞台の一つが岩手県で、石川啄木さんが生まれた場所でもあります。詩に親しんだ久々原さんが石川啄木さんを知らない訳がありません。ですから、もしかしたら石川啄木さんへの意識があるのかもなぁと思ったという事です。(見当違いだったらスイマセン!)
以上です。少なくとも久々原さんの読者がここに一人います。これからも頑張って下さい!久々原仁介 K0183K0183 見城さん、755の皆さま、こんにちは。
久々原仁介さんの『海のシンバル』を昨日、読み終えました。
久々原さんのことは存じ上げなかった。755で見た瞬間、直感的に心に響くものがあった。だから、何も調べなかった。先入観なしに、この物語と向き合いたかった。仕事終わりに、閉店間際の書店に駆け込みました。
四日間、この物語と過ごしました。読む前の震え、途中の痛み、読み終えた後の深い余韻――そのすべてを、ここに記してきました。
久々原さんの文章は、透明感があって、やさしい。自分でも触れないようにしていた心の傷に、そっと触れてくれる。苦しみを静かに引き上げ、哀しみをあたたかく掬い上げてくれる。
読み終えた今、久々原さんのことを少しだけ調べてみました。「note」を拝読して、ある言葉に目が留まりました。
「君に、小さな夜をあげるよ」
自分をひとことで表すと「水」。自分の作品を色に例えると「青灰色」。
その瞬間、ゴッホの『星月夜』が浮かびました。
――水のように透明で、青灰色の空の星月夜。
夜に、星と月が輝いたら、祈りを捧げたくなる。永遠さえも壊したくなるほど草臥れた私を、やさしく抱きしめてくれる――あの世界。
この四日間、私は確かに久々原さんから「小さな夜」をもらっていたのだと思います。酷く疲れた心に、静かな夜をくれた。その夜の中で、海のいちばん深い場所に沈んでいた「自分」と「あの人」と、もう一度向き合うことができた。
それこそが、『海のシンバル』なのだと。



