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シンジ

フェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリを取り上げたマイケル・マン監督「フェラーリ」。 エンツォの生涯を描くと言うより、1957年の最後のミッレミリアを軸にした物語なんですね。 イタリア全土を舞台にミッレミリア(1000マイル)を走る公道レース。フェラーリは1948年の初勝利から6連覇、'54年はアルベルト・アスカリのランチアに、'55年はスターリング・モスのメルセデスに勝利を奪われるも、翌'56年には優勝を手にしていた。 業績不振、最愛の息子ディーノの死をきっかけの一つに破綻する夫婦関係、愛人とその息子ピエロの関係…'56年から'57年の激動の1年を描いたようです。 1年間のエピソードでもエンツォの強烈なカリズマとエゴイズムを描くには十分でしょうけど…。 個人的には、アルファロメオのワークスドライバーとして好成績を収めレース部門であるアルファコルセのディレクターにまでなったエンツォが、如何に自らレーシングカーを造るに至ったか…みたいな話が良かったなぁ(笑)。 1951年、自分のフェラーリの名を冠したマシンが、初めてアルファロメオのマシンより前でフィニッシュ時に言ったとされる名言「私は母親を殺してしまった」は絶対言わせたい台詞ですね。 https://youtube.com/watch?v=BHTdDsdo69o&si=uRXJIBOSzqPIMDUM

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シンジのトーク
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  • シンジ
    シンジシンジ
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    スバルが初代インプレッサで参戦していたWRC(世界ラリー選手権)のホモロゲーションモデルとして限定リリースした「インプレッサB22 sti」。
    既存マシンの4ドアではなく2ドアボディ(初代インプレッサには“リトナ”と呼ばれた2ドアモデルが存在した)に、ブリスターフェンダーや巨大なリアスポイラーを与え、エンジンは2.2リッターへとボアアップされた。定番のWRブルーのボディカラーとゴールドのBBS鍛造ホイールの組み合わせが痺れる程カッコよかった。
    この個体はインプレッサで自身初のチャンピオンを獲得、と同時にスバルに初のマニュファクチャラータイトルをもたらしたレジェンドドライバー、故コリン・マクレーが所有していたものでオークションで日本円で約9200万円で落札されたらしい。
    以前、近所に青空駐車されてたこいつがあったけれど、あれはどうしたんだろう?
    古い車が軒並み値上がりしているこのご時世、今頃持っていればとんでもない値段になってただろうなぁ。

  • シンジ
    シンジ

    あれ?B22なんてなってる…お恥ずかしい。

    「インプレッサ22B sti」ですよね。

    これはアカンやつやん_(┐「ε:)_

  • シンジ
    橋場日月橋場日月

    DENONのサウンドバーを購入。この音は好みだ、クラシック放送が映える。
    デンオン良いね、50年前に我が家にあった「てんとう虫」以来のデンオン。意地でもデノンじゃなくてデ・ン・オ・ン(笑)。
    プロモーションは含みません。

  • シンジ
    シンジ

    中山美穂さんの妹、中山忍さんが大学生時代に地元の男の子と付き合っていて(当時の元カノが知ってた男の子)、冬になると南会津の台鞍スキー場にスキーをしに来ていた。中山美穂さんも一緒に来る時もあったみたいで、お姉ちゃんて呼んでるって聞いて「お姉ちゃんが中山美穂かよ~」なんて話してたな。

    もう30年以上前の話だ。急に思い出した…懐かしいな。

    ご冥福をお祈りします。