てつおの部屋
トーク情報- てつお
てつお 人は、いくら変えようとしても変えきれない、個々に固有の感性や欲を持っている。 それがその時々の社会に適合していれば、ひとまずは満たされる。 しかし実際には、むしろ適合しないことのほうが多いのではないか。
そのとき人は、いくつかの選択を迫られる。 自らの資質を社会のシステムに合わせて調整するのか。 それでもなお満たされないなら、社会の仕組みそのものに働きかけるのか。 あるいは、世界の見え方――認知の枠組みを変えることで折り合いをつけるのか。
そのどれもが中途半端に終わるとき、内側には説明のつかない熱が残る。 行き場のない衝動、言葉になりきらない違和感。 そうした「止むに止まれない内なるマグマ」こそが、生の実感なのかもしれない。
ある者は、SNSという場にその圧力を解放し、断片的な言葉として噴出させる。 ある者は、起業というかたちで意思を外部化し、社会の中に新しい回路を実装しようとする。 どちらも、内なるマグマの別の現れに過ぎない。
そしておそらく重要なのは、そのマグマを消すことではなく、どのような形で外界と接続させるか、という設計の問題なのだと思う。
社会に適応することも、社会を変えようとすることも、認知を書き換えることも、本質的には同じ一つの運動の異なる位相にすぎない。 内側から湧き上がるものが、どの層に作用するかの違いでしかない。
だとすれば、自分に問うべきは単純になる。 この衝動を、どこに接続するのか。 どのレイヤーにおいて、現実と結び直すのか。
無理に均す必要はない。 むしろ歪みのまま、適切な出口を与えるほうがいい。 発酵のように時間をかけ、熱を保ちながら、形を変えていく。
その過程そのものが、生きるということなのだと思う。



