気ままなつぶやき
トーク情報ぴよぷー 削除されたユーザー削除されたユーザー <乃木坂46新内眞衣インタビュー>OL卒業で不安な日々、悩みは「将来のこと」 今の自分に必要不可欠だった出来事とは… - モデルプレス https://mdpr.jp/interview/detail/1766206
ぴよぷー モウリス@ニコ生NEX ZEROモウリス@ニコ生NEX ZERO ぴよぷーお疲れさまです。沖ちゃんがSchool Days知ってたとは…。恐らくPC版ではなくアニメ版の方でしょうが、アニメ版も今じゃ放送できなさそうなエンディングでしたし…恐ろしいそこで「『School Days』もチェックしてた」で止まってしまうと沖ちゃん独特の感性を探究しきれないので、さらに掘り下げてみましょう。まあ逆に言えば、彼女のこれまでの言動から察するに、『School Days』くらい見ててもおかしくはないな…とも言えます。彼女が候補生時代の第一印象といい意味で違ってきた点は、分解すると「データベース」「視点」「アウトプット」に分けられると思います。
「データベース」とは、いわゆる「引き出し」ですね。それは別に、ちょっと意外性のあるコンテンツを見てるから、ということではなく、バイト経験や日常でのあらゆる瑣末な物事を「引き出し」として使えるようなインプット化を、無意識に行ってるタイプであると考えられます。ただの「記憶」と「データベース」は大きく違います。「データベース」とは〈対象に対してその人独特のタグ付けがされた状態〉です。面白さの基本は「違和感」ですから、ここは大事なスタート地点と言えるでしょう。
そして「データベース」の管理と運用には、シナプスのアクロバットな接続が必要で、それが「視点」です。「思考」と言ってもいいでしょう。脳は保守的なものですから、ありがちな結論に短絡的に至りがちですが、沖ちゃんの脳は、シナプスの再接続に柔軟性があります。それ故に、ときとして他人には理解不能な言動も発生します(いきなりやり出したコウモリの真似など)。また、沖ちゃんはコメントを一蹴することがしばしばありますが、自分のシナプス接続に自信や確信があるところも、彼女の面白さに一役買ってるでしょう。
ここまでは、ある程度の年月をかけないと得られない、いわゆる「感性」と言われるやつですね。指原莉乃をイメージすると分かりやすいかと思います。自己プロデュースの壁にぶち当たったままのメンバーは、概ねここまでの条件が揃っていないことが要因であると、ぼくは考えています。それは家庭環境、地域特性、個体差などが無数に掛け算されたものなので、解明や応用は困難です。
そして「アウトプット」。要は表現力ですね。これはある程度は技術的なもので、修練によって向上可能なものです。(あくまで「ある程度」です。アウトプットにも感性は関係するので)また「アウトプット」は、外部との接続=回路も重要です。訴求力や新しさは、得てしてテクノロジーから得られますから、沖ちゃんの場合は《個人発信型配信》と親和性が高かったのでしょう。舞Qや、大西桃香、馬嘉伶なども同様です。壁にぶち当たってるメンバーも、回路との接続が上手くいってないだけで、感性が乏しいと断定は出来ません。吉田朱里や岩花詩乃は、回路の発見によってステージアップした例でしょう。
YouTube(吉田)、Instagram(岩花他)に比べて、SHOWROOMは素材の加工性が低く、前の2つとは特性の異なった回路ですが、沖侑果はむしろ加工されないことが面白さに繋がっており、ぼくはそこを指して《実存系アイドル》と定義しています。…と言うか、《実存系アイドルのパロディー》と言っていいかもしれません。(実存系としては大島優子、倉野尾成美などが挙げられます。本村碧唯もかつてそれに分類していましたが、最近はテクニカル系に進化したと思います)
…となると、沖侑果の今後の課題は「自己資源の維持」と「実存からの拡張」です。それは大西桃香など、SHOWROOMでのし上がってきたメンバーに共通のものですね。表現というものを「リビドーに継続的にレバレッジをかける行為」と無理矢理定義すると、自己資源(ありのままの自分)を使い果たしてしまうと、どんな個性的な人だろうと、すぐに枯渇しまうからです。現在のところ、それに幸いしている状況が、舞Qとの連携プレイ(外部接続)でしょう。すでに劇的な状況を発生させ、同時初選抜まで到達しています。あまりにも速い進展ですから、本人たちも気の抜けない毎日が続いていくことでしょうが、表現者でいる以上、それは永遠に避けられないことですからね。「ほどほどにね」「無理しないでね」という投げかけを彼女たちがほぼほぼスルーするのは、そんなことをしていたら、他人や自分に負けてしまうからでしょう。タイムカードが無い職業。限界を知り、限界を超えていく。常に新しい自分を創造していく。それが無くして何がアイドルでしょう。何が表現者でしょう。沖侑果がどんな方向に進んでいくのか、私たちはいま、とても興味深いコンテンツの目撃者であるわけです。