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てんあつ

しかし、大谷くんのお相手がそんなに気になるのか? 僕は一平ちゃんじゃなかった事とw"日本人女性"だった事に安堵しているから誰でも良いんだがねww

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片雲の風にさそはれて
トーク情報
  • てんあつ
    てんあつ

    あとは荷物ですね。
    不必要なものはすぐに処分していかないと。

    母が何を思って取って置いたのか判らない食器類の処分に手をこまねいていたり。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    貴方は何故、結果が出ないのか?多分、ちょっと努力して諦めるからだ。自分に負けるからだ。結果が出なければ、自分のどこが悪いのかを考えて考えて考え抜く。自己検証を繰り返す。人にも意見を聞く。自分の甘さと弱さや思い込み、勘違い、自己満足に徹底的に向かい合う。修正に修正を試みる。基礎工事の努力からやり直す。今までの自分を壊す。独りよがりを排除する。辛くて苦しい地獄の道を通らなければ、たった一つの結果すら出ない。ダイエットでもトレーニングでも同じことだ。一つを達成し結果を出した時、微かに道筋が見えて来る。やるか?やらないか?ただ、それだけだ。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    急がば回れ。先ずは読書をすることだ。小説を読むことだ。感じることだ。考え抜くことだ。言葉を獲得することだ。正確な言葉で思考する。それだけで本質に近付く。不正確な言葉で漫然と考えるな。言葉と思考は人間の唯一の武器だ。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    思考が間違っていたら今している努力は意味がない。先ずは目標に対して的確な思考をして、努力の方向性を合わせ、質を高めることだ。

  • てんあつ
    とざまとざま

    見城社長、

    やじコメに関するご指摘ありがとうございます。自分の認識を改めることができました。
    履歴書を送る理由に関してですが、それは純粋に私を知って欲しいからです。もちろん独りよがりなことだとは認識しています。まだ世間において何者でもない私など、社長にとっては有象無象の一に過ぎないと思います。その一が社長に自らを知って欲しいと要求すること、それは傲慢でしかないと認識しています。
    しかし、私はどうしてもそれをせずにはいられなかったのです。なぜなら、私は社長に会いたいから。2015年11月に放送されたアナザースカイにて社長を知り、社長の行動や人間性に強く興味を引かれました。それから社長の著書を読み、困難、批判、葛藤、コンプレックス、そういったものを全て反動に変えて全力前進してきた生き様に感銘を受けると同時に、私の生きる道は社長のような正面突破の道しかないと確信しました。
    ただ、私にはまだまだ圧倒的に足りないものがあります。それは過去の苦労です。反動とするべき苦労、魂の苦労が私には圧倒的に足りていない、そう思っております。だから私は社長に会って、今までどのような苦しみを受けてきたのかを聞きたい、テレビや本では言えない話も全て聞きたい、そしてそれらを全て自分の中に取り込みたい、そう考えました。それらはSNSの中では聞くことができないことであり、直接会わなければ聞けないことだと思いました。もはや、社長と会わなければ私の人生が一歩も先に進まない、そのような感情すら抱きました。
    普通の人であれば、会いたいけど会える訳がない、で終わりだと思います。
    仮想空間と現実は全くの別物で、いくらSNSで返信を返してもらったところで現実に会える訳がない、そう考えるのが常識なのだと私も思います。
    ですが私は諦めきれなかったのです。なぜなら、私の人生は一度きりだから。たった一度の人生なら本気の想いをぶつけようじゃないかと考えました。本気の想いは相手に届くと信じて。


    以上が見城社長のトークに私が参上した経緯です。
    社長が弟子をとらない主義であったり、仮想空間の人間とは会わない主義であったりするのなら、私は納得して社長に会うことを諦めます。私の本気の文章から社長が何も感じなかったとおっしゃるのなら、私は納得して想いをぶつけることをやめます。私のような有象無象の一に時間を費やすことなど社長にとって非合理以外の何物でもないとおっしゃるのなら、私はこの苦しみを胸に一歩先に踏み出せます。

    最後に一つだけ申し上げます。私が755に現れたのは全て見城社長に会いたいからです。
    もしご迷惑をお掛けしたのであれば、心よりお詫び申し上げます。
    稚拙な文章でしたが、最後までお読みくださったこと、感謝いたします。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    ⬆︎ お気持ちはよく解りました。その真剣さや見事な表現力に感銘を受けもしました。
    しかし、一つ、とざまさんに決定的に欠落しているものがあります。それは他者に対する[想像力]です。何故、僕が貴方を知らなければならないのですか?僕の人生を何で貴方に洗いざらい語らなければならないのですか?それは貴方にとって抜き差しならないものでも、僕にとっては貴方の身勝手な迷惑極まり無い欲求です。僕は合理・非合理で人間関係を判断しませんが、僕は篤志家でも宗教家でも人生相談サービス機関でも無いのです。どれだけ貴方の言っていることが身勝手なものか自覚して下さい。[本気の想いは相手に届くと信じる]のは精々中学生のクラスのホームルームの中くらいです。そんなことが可能なら誰一人として人生を生きるのに苦労はしませんよ。これだけの文章を書ける人が何故、自己検証を出来ないのか不思議に思います。第一[弟子を取らない主義]も何も、何で僕が弟子を取る必要があるでしょうか?僕は自分の人生を生きるのに精一杯です。
    どうかご理解下さい。このように書く時間も僕には迷惑です。しかし、僕に書かせるだけの力があったことも確かです。こう言うと過剰に反応されるのを怖れますが、それだけは伝えておきます。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    ぼくはでてゆく
    冬の圧力の真むかうへ
    ひとりつきりで耐えられないから
    たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから

    ーー吉本隆明「ちひさな群への挨拶」

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    胸のあひだからは 涙のかはりに
    バラ色の私鉄の切符が
    くちゃくちゃになってあらはれ
    ぼくらはぼくらに または少女に
    それを視せて とほくまで
    ゆくんだと告げるのである

    とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ


    ーー吉本隆明「涙が涸れる」

  • てんあつ
    てんあつ

    おはようございます。

    今朝の見城さんの過去トークからのリトークは、2016年2018年2021年のものが混在しております。
    念の為ご注意願います。

    今日もまた見城さんの言葉から力を頂き、顎を上げながらでも走り切りたいと思います。
    いつもいつも、本当に有難うございます!