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  1. 渡邉美穂🏀

    今泉力哉監督と📸

    『窓辺にて』をもう劇場でご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、あまり深く書くとネタバレになってしまうので少しだけ。

    本作は不倫や浮気を中心とした恋愛のお話ではあるものの、不思議と不快な気持ちにはならず、どのキャラクターにも感情移入してしまうような作品だったと思います。

    手放すということは同時に何かを得るということでもある。
    世の中的に悪とされている物事は果たして全てが悪いものなのかという、固定概念を覆すようなテーマが軸にはありました。
    世間という広い世界の中にある小さな人間関係、そのささいな日常を覗かせてもらうことによって、まるで自分もそこに居合わせたかのような気分になりました。
    今泉監督って、"こちら側"にも"あちら側"にも立てる方なんだぁって。色々、ハッとさせられました。

    ここからはインタビュー時に思ったこと。
    自分は映画を観る時、あんまり何も考えないで観ちゃうのですね。突っかからないようにするというか。
    「心地よい映画だった。あのシーンの雰囲気が好きだった。キャラクターが良かった。」とか。
    簡単に言えば、「面白い」って言葉しか使ってこなかったのですよ。
    まぁ単純に自分が映画を批評できるほどの者ではないっていうのが一番の理由ですが。

    そしてそれと同時に、受け手は最大限に理解をしなければいけないと勝手に思っていました。
    作品からの問いかけに対しては正確な答えを導き、全てを納得できるように自分の中に落とし込む。
    それが制作者へのリスペクトであり消費者の在るべき形だと、心のどこかで無意識に思っていたのかも。正直。

    でも今泉監督が、「映画を観終わった後に考察したり、人と話し合ったりしてくれると嬉しい」と仰っていたのです。
    その中身が正解か不正解かは置いておいて、上映後に作品を思い返しながら色々考えるって、ある意味それも作品の延長線上なんだなって。
    今泉監督に二度もハッとさせられました。恐るべし。

    こうやって監督と深く意見を交わせる機会ってなかなかないと思うんですよ。
    作品を作る上でどんなことを意識してるかとか、細かいこだわりとか、たくさん丁寧に伝えて下さりました。
    私自身もかしこまったインタビュー形式に慣れていなかったので、ただただ映画好きとして、監督の作品のファンとして、とにかく気になったことを聞きました。
    0から全てを作り上げている監督だからこそ、全ての言葉に重みがあったし、何より説得力がありました。
    すごくすごく勉強になったし、自分ももっと柔軟性を持った人間になりたいと思いました。

    高校1年生の時からずっと、「いつか映画に関わるお仕事がしたい」と思っていて、その夢に少し近付けたような気がします。
    このような素敵な機会を頂けて幸せでした。
    今泉力哉監督、ありがとうございました。
    またどこかでご一緒できますように。
    精一杯頑張ります!

    そして改めて、映画『窓辺にて』是非ご覧ください。

    長文失礼致しました🙏🏻

    #東京国際映画祭
    #TIFFJP

  2. 七色息子

    東京国際映画祭で「スヴェタ」を観てきた。

    ろうあの主人公スヴェタは、二児の母。同じくろうあの夫ともにアパートで4人暮らし。共働きでなんとか生活を維持していたものの、世の不況の波には逆らえず、ローンを滞納しがちで、ついに立ち退きを言い渡されてしまう。さらに、追い討ちをかけるように、勤め先ではリストラを宣告され、彼女は窮地に追い込まれる。頼りない夫にイライラしながらも、それでも、子供達だけはどんなことをしてでも自分の手で守っていきたいと強く思う彼女は、予想もつかないとんでもない行動に出る。そんな映画。

    善悪やら、良心やらは、生活に余裕のある人間の戯言に過ぎない。そんなことグダグダ言っていたら子供たちは本当に地獄(養護施設)に連れて行かれてしまうのだ。

    いやしかし、スヴェタの行動や言動は本当に強かで、観客も苦笑いしていた(笑)肝っ玉母ちゃん、なんて可愛らしい言葉では言い表せないくらい、悪い意味で「したたか」な女性だな、と思った。彼女には良心の呵責の欠片すらないのかと、頭を抱えながら観た。

    でも、そんなスヴェタがとてもリアルだったのも確かで。実際…厳しいもんな…、と彼女がした事を受け入れざるを得ない自分もいた。これが、この作品が切り取った現実という力だと思った。自分はどうしても、彼女を心から非難することができなかったのだ。

    ときに、音楽というのは、脚本や役者の演技と同様に、映画にとっては必要不可欠なものだ。観客は、役者のセリフや演技よりも、決定的なシーンで流れる音楽によって心を震わせることが多々ある。音楽がないと成立しない映画なんて山ほどある。

    しかし、この作品には音楽が一切流れない。

    主人公は声を発することができない。スヴェタたちは、全編にわたり手話で会話をしている。そう、音楽を流しても彼女達には聞こえないのだ。そんな彼女たちの心を音楽で表現しようとするなんてナンセンスでしょ?そんな監督の意志が伝わってくるような気がした。

    で、その代わりなのかは分からないが、この映画は、カメラ長回しのシーンが非常に多かった。スヴェタの行動を淡々と写すシーンがほんとに多い。セリフがあるわけでもなく、何かが起こるわけでもなく、我々の想像を手助けしてくれる音楽もなく、スクリーンは、ただずっとスヴェタを映していた。

    そんな実験的な作品でもあったが、自分は主人公の判断をどうしても理解することができなくて とても居心地が悪かった。この居心地の悪さこそ、自分が偽善者だという何よりの証拠なのではないか、という思いに囚われ、なかなか手厳しい映画体験でした。

    ラストシーン、スヴェタの言葉が、この作品を力強く包む。半ば強引とも思える最後だったが、この作品を締めるには最も相応しいであろうベストなセリフで、こりゃ凄ぇな!と膝を打った。いやはや、世界に凄い映画が沢山あるなあ。ほんと力強い作品でした!ブラボー!

    ‪【スヴェタ】 #東京国際映画祭 #TIFFJP #eiga http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=27

  3. 七色息子

    東京国際映画祭でギヨーム・ガリエンヌ監督の新作「マリリンヌ」を観てきた。

    主人公マリリンヌは24歳、フランスの片田舎から女優を目指し、独り、都会へ。言葉や知識で溢れ返る その場所は、まるで別世界のようで。当然ながら、駆け出しの若い女優である彼女に、その世界を泳げるような術はなく、ただただ 言葉や知識、そういった大きな声に翻弄されるだけだった。

    声 小さき者は深く傷つく。

    自分には言葉がない。自信の喪失よりも深い傷、自身の喪失。

    絶望に打ちひしがれ、彼女は、男や酒に、次々と依存してゆく。

    そんな負の連鎖が続く生活の中、彼女は、ある映画の端役を演じる機会を得る。

    ここがターニングポイントだったんだろう。その撮影現場の優しさに触れ、その作品の台詞に触れ、彼女の絶望が怒りの表現へと変わった。

    声 小さき者のレゾンデートル、それは、溢れるほどの大きな声や言葉や知識なんかではない。

    声 小さき彼女のレゾンデートル、それは、身に降りかかる理不尽で不条理な怒りや悲しみと何度も闘い、何度も惨めに負け続け 傷だらけになった自分の感情を、演じる という表現を通して、人々に伝えることだった。

    その彼女の感傷に、共感し魅了される批評家や観客達、ついに彼女は、散々苦しめられた あの言葉や知識の中心に立ったのだ。

    しかし、物語はここでは終わらない。この映画は、彼女をさらなる高みへと導き、ラストシーンへと送る。

    こんなに温かくて可愛らしくて美しい賞賛に溢れた映画を自分は知らない。声にならない感動に涙が止まらなかった。「マリリンヌ」本当に本当に素晴らしい作品でした (T ^ T)✨✨✨ 観ることができて本当によかった。

    ‪【マリリンヌ】 #東京国際映画祭 #TIFFJP http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=19