トランペット🎺、何のために練習するのか?
演奏会が控えているわけではないし、コンクールに出るわけでもない。ましてや演奏の仕事があるわけでもない。
昨日のコンサートを見ていて、プロの奏者が楽しそうに演奏している姿に「こんなに楽器を自由自在に扱えたら楽しいだろうなぁ」と思ったんです。その域に達するために物凄くたくさんの努力をしてきた事は、多少音楽をかじっている身として想像できます。
壮絶な努力の先に、本当の楽しみがある。楽器の演奏ってそういうものなのかと思うのです。
でも、苦しいだけの努力は続かないし、目標が無くても努力は続かない。今まではそれでも努力を続けていかなければならないと思っていました。苦痛に耐えてこそ、努力の成果が出るものだと。
でも師匠に言われたんですね。「楽しんで練習してください」って。正直練習は楽しくなかった。基礎練習はつまらないし、曲を吹いても自分の演奏は理想とはかけ離れていて面白くない。それどころかイラつく。
そんな時に昨日のコンサートを見て思い出したのは、中学で吹奏楽部に入って楽器を始めた頃のこと。辛い事もあったけど、気の合う仲間と適当に合わせている時は楽しかった。合奏も楽しかった。上手く吹けなくて凹んだ事も沢山あるけど、何より楽器を吹いている事が楽しかった。
そう、何のために練習するのか。その答えは楽器を始めた頃の自分は知っていた。楽器を吹く事自体が好きで楽しいからだ。そして上手くなればなるほど、もっと楽しいからだ。これが原点。
そこがブレなければ、努力が楽しくなる。というより努力を努力と感じなくなるのではないか。その域にはまだまだ達する事はできていないけど、退職して、新しい経験や出会いをして、様々な呪縛から少しずつ解き放たれている気がするのです。
結論。今日もトランペットは上手くないけど楽しかった😊
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