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▲ヒろアキ▲ マルチェロマルチェロ 《歌割りの魅力》
歌割りというと序列・ポジションの意味合いが強いが、楽曲においてとても影響力のあるものに思う。
私自身が歌割りの魅力や効能について気が付いたのは、ある世界的大ヒット曲がきっかけだった。その曲はライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソンが主導したUSA for AFRICAプロジェクトの「We Are The World」である。
ライオネル・リッチーから始まって、スティーヴィー・ワンダー、ポール・サイモンという具合にバトンが渡されるヴォーカルは圧巻で、ジャンルや年代を超えたアーティストの不思議な一体感に胸が熱くなった。
とにかくそれぞれの声が凄い。マイケルのクリスタルヴォイス、ブルース・スプリングスティーンのしゃがれ声、レイ・チャールズのソウルフルな味わい、シンディー・ローパーのパンキッシュな歌声などがクレヨンのように色鮮やかに楽曲を彩り、またその声が彼ら彼女たちの音楽性や生き様を物語っていて、とにかく楽しい。
単に順番に歌ってるように聴こるかも知れないが、実は歌割りに相当苦労したみたいだ。あの曲を特集したドキュメンタリー番組を見た時に、ヴォーカルコーディネーターの方が考えに考え抜いた旨の話をしていたが、たしかに聴けば見事な仕事である。
さて48、46グループ楽曲における歌割りについて考えてみよう。
まずは何と言っても歌い出し、これはセンターの与えられる特権であり、おそらくは山の頂上から歌声見渡す爽快さとグループを背負う重圧が入り混じり、かつヴァージンスノーにシュプールを描くような気持ち良さがあるものと思う。しかしながら楽曲においてはとても大事な場面で、イントロからの沈黙を破って歌唱へなだれ込むこの一瞬は、曲の良し悪しを左右する重要局面だ。
個人的には渡辺麻友のピッチが正確で抜け感のある声や兒玉遥のきゅんと甘酸っぱい声がとくに素晴らしいと思う。もちろん曲調とのマッチングがあって、ぴったりくる声もそれぞれである。
歌い出しに続いてフロントメンバーが一人あるいはペアで歌唱みたいな感じで続いていく。サビに近づくほど序列が下がって行き、歌割りも短かめでサビは全員歌唱、概ねグループの歌割りはそんな感じだ。
ところで皆さん、「この曲のここが好きなんだよなぁ」っていうのがないだろうか?たぶんあると思う。あの曲のサビに入る直前のところが好きとかそんなの。
それって歌割りが絡んでいると思うのだ。もちろんメロディーの要素が大きいけど、歌唱している二人の声がメロディーを引き立ててたりするのである。切なかったり可愛かったり、時におバカだったり。
例えば「365日の紙飛行機」。この曲の歌い出しはどうだろう?素晴らしいでしょ。山本彩が歌い出した瞬間グイッと引き込まれる。そこからだいぶ先に行って「やりたいこと 好きなように」のところ、ここは柏木由紀と入山杏奈ペアであるが、ちょっと鼻にかかった声に何か共感出来ちゃう。垢抜けない感じの普通にその辺にいる女の子の気持ちが感じられる。
これはあくまで例であるが、メロディーは歌われてこそメロディーな訳で、メロディーを生かすも殺すも声次第、歌割の効能はプラスにもマイナスにも働く。
ここでちょっと脱線、グループの声について書きたい。ここまでは個々の声とペアの声について書いたが、グループの声っていうのがある。サビで大合唱した時の声がグループによって違う。
例えば初期のAKBなんかは、ルックスと同じでめちゃくちゃ素人くさい。ま、それが魅力でもあるが。それと反対に乃木坂46はとっても綺麗。これは奇跡のメンバーが奏でるハーモニーと言いたいが、やっぱり理由がある。
乃木坂は合唱の伝統に沿った発声がしっかり訓練されている印象だ。腹式呼吸で綺麗な発声を各自が意識している。だから全員歌唱した時にとても美しい。これはアイドルとしては新しい歌唱スタイルに思う。
でSKEはどうなんだという声に応えると、これは泥くさい(笑)何かこう地べたを這ってますみたいな迫力がある。あかりんなんて空気椅子しながら歌ってるみたい。いや、これは褒め言葉。
ちょっとふざけたが、特にサビで発動するグループの声にはグループの色ががっちり出ているのだ。
まとめに掛かると、歌割りは単にセンターが誰とか序列がどうではなく、歌詞やメロディーと各メンバーの声の組み合わせにより、楽曲の魅力を引き立て、時にドラマティックに、時に等身大のリアリティーを演出する重要でとても興味深い役割を担っている。
数ある楽曲の中にも、そのメンバーそのメロディーじゃなきゃという組み合わせの妙たる一瞬がたしかにあって、私たちにはそんな宝探しのような特権が与えられているのだ。
そんな事を考えていると、それぞれの曲がさらにまた愛おしくなって来るのである。