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 人ができるかわからないけれど、今のまま「オテル・ドゥ・ミクニ」を続けたら、五年でも十年でも、瞬く間に過ぎてしまうだろう。  もう一度、自分の身一つで料理と向き合いたい。  店の名前はすでに決めている。「三國」だ。席はカウンターのみで八席。下働きの若い子を一人くらいは入れるかもしれないが、料理はぼくが一人で作る。 お客さんと差し向かいで、自分のために料理を作りたい。  メニューは決めない。 その日の食材を、お客さんと相談しながら料理する。 食材はもちろんすべてぼくが目利きをする。そのために豊洲の近くに家を借りる。  何から何まで、ぼくがやる。ずっとそういう料理を夢見ていたのだ。  名前は明かせないけど、ぼくにはひとり憧れのシェフがいる。ぼくより少しだけ年上で、ぼくより少し前にフランスから帰り、一軒の素晴らしいレストランを作り、そこの一軒の店でずっと料理と向き合ってきた。  ぼくは彼の料理も、彼の生き方も深く尊敬している。  彼の料理は、文字通り世界一だと思っている。  同時に、彼に負い目を感じている。  世界を駆け巡り、店を増やし、若手を育て、新しい仕事に取り組みながら、ここまで突っ走ってきた。その人生も悪くはなかった。ただ唯一の心残りが、その人のように無心で料理に取り組んでこられなかったことだ。  料理はぼくの人生を切り開いてくれた。だけど、それだけじゃなく、料理は深く追求する価値のある仕事だ。三年後にぼくは七十歳になる。そのときに、ぼくの新しい店「三國」を開店させる。今度こそ、ぼくはぼくのために料理をする。  ぼくが憧れるその人の店を訪ねて、こう挨拶しようと思う。 「遅くなりました。ぼくもフランス料理を始めます」

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眠〝いれぶん〟です。
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