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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    人は対象に未練がある時、どうしても事態を自分に都合の良いように解釈しようとする。わずかな理由を探してそれにしがみ付き一縷の望みを託してしまう。後で考えると、とんでもない勘違いなのにそれに気が付かない。
    片想いの恋は誰にも経験があるだろう。向こうにはその気がないのに、相手の微かな言動にしがみ付き、希望を見出す。片想いはやがて終わるが、人生は終わらない。片想いの心情で人生を過ごしたら取り返しのつかないことになる。かく言う僕もしばしば片想いの心情に襲われる。相手はその気がないのだ。そう言い聞かせなければならない。業績は悪いのだ。こうすれば何とかなる、などと考えないことだ。先ず現実を冷静に受け入れる。原因と構造を精緻に分析し、検証する。奇策を打たない。一縷の望みを託さない。圧倒的努力で正面突破する。片想い的心情は切なく愛おしいが、ビジネスでそれに囚われたら、失敗を加速させるだけだ。自己検証、自己嫌悪、自己否定。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2018年7月の投稿をリトークさせて頂きます。

    淡い期待は露となって消えていく。現実は都合良くは回らない。人生は、ままにならない事ばかり。
    勘違いしていないか。思い込んでいないか。独りよがりは失敗を加速させていく。甘い自分を否定して、弱い自分を嫌悪する。
    冷静に、繊細に、精密に、精緻に、原因と構造を分析する。それは残酷なまでの自己検証。
    圧倒的努力で正面突破するしかない。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    結果を出したいなら人並み外れた苦しい努力をするしかない。精神も肉体も崩壊しそうな努力。それをしなければ人並みの僕たちに人並み外れた結果は微笑まない。トレーニングだってそうだ。キツいトレーニングでは駄目なのだ。立ち上がれないほどの苦しいトレーニング。それに耐えて結果は出始める。人生も仕事もトレーニングも気絶しそうな努力を積み重ねる。
    要は、つべこべ言わないで、たった一つ。
    「やるか?やらないか?」
    それだけだ。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2018年7月の投稿をリトークさせて頂きます。

    ここ最近トレーニングに行けていない。鏡に映る自分の姿に失望する。
    やらない理由は無限に浮かぶが、やる覚悟はなかなか決まらない。
    うだうだ言っても仕方がない。その先にしか道は無い。

    「やるか?やらないか?」

    もう答えは決まっている。いざ苦しみの向こう側へ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ⬆︎ [竜二]の映画化には僕も関わりました。金子正次と友人だったからです。金子正次と松田優作は映画の直前までは親友の関係でした。金子正次は映画の公開と同時に、松田優作も追いかけるように逝ってしまいました。[竜二]には高橋伴明も濃く関わっています。映画が出来るまでに色んなことがありました。それらのことは僕が編集した生江有ニのノンフィクション[竜二ー映画に賭けた33歳の生涯ー]に書いてあります。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    企画 編集
    アングラ演劇の主演俳優だった金子正次が1981年1月、同劇団の解散公演の楽日に大量に吐血し病院に担ぎ込まれる。一命は取りとめ、既に手遅れ[2]の状態の末期の胃ガンと診断されたが、本人には最後まで病名は伏せられた。金子は東映任侠映画が大好きで[1][2][4]、退院からの二年間、ヤクザ映画を作りたいと精力的に映画製作に取り組んだ[2]。しかし1980年代初頭、ヤクザ映画は完全に死んでいた[1]。1980年、1981年とヤクザ映画は1本も公開されず、1983年、深作欣二、佐藤純彌、中島貞夫監督でリメイクした『人生劇場』も興行が振るわず[1]。最初に競馬のノミ屋を描いた「ちんぴら」(『チ・ン・ピ・ラ』として1984年映画化)の脚本を書き、大手映画会社に持ち込むが、「脚本はいいが、主演は君には務まらない。他のキャストでやってみればどうか」と言われこの話を蹴る[2]。無名の監督、キャストではメジャーの配給ルートに乗せられない[5]。主役しかやるつもりのない金子は映画会社での製作をあきらめ、自主製作にしようとかつての演劇仲間たちに声をかけた。プロデューサーには原宿学校(現・東京映像芸術学院)時代の友人・大石忠敏(川島透)に頼んだ[6]。金子は鈴木明夫の名前で1982年秋「竜二」のシナリオを書き上げ、製作費3000万円は、自己資金と実家や知人からかき集め、配給会社のあてのないまま、1983年1月6日にクランクインした[2]。金子の妻役の花城まり子を演じた永島暎子は「金子さんはもう、自分はもうだめなんじゃないかと分かっていたんじゃないかと思います。金子さんは、松田優作さんと、まだ松田さんが売れない時からの親友で、かたや松田さんは映画界でどんどんスターになって、自分は何をやっているのか田舎の親も誰も知らない。東京でやくざやっているんじゃないかと言われてて、自分の形が映るということをやっぱり映画でやりたかったんでしょうね。だから自分が主役をやるための映画の脚本をたくさん自分でも書いてらして、売れるとか決まってるわけじゃないけれども、とにかく友達のお金集めていきなり作ってしまったという。 やっぱり最後に自分の形が映るということを映画でやりたかったんでしょうね。それだけなんだと思いますけど」と述べている[7]。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    映画[竜二]に出て来る幼い娘は金子正次の本当の娘です。当時、よく会いましたが、今はどうしているでしょう?金子正次の弔いの意味を込めて角川書店「野性時代」の編集者だった僕は生江有ニに金子正次の短かった生涯のノンフィクションを書いてくれるよう依頼しました。それは「野性時代」に長編一挙掲載[銀幕、遥かなり]として発表されましたが、単行本化は当時の書籍編集部長に拒否されました。それでも僕は諦めず、社長だった角川春樹に頼み込み実現させました。タイトルは[ちりめん三尺ぱらりと散って]に改題しました。それが全く売れなかったため当然、文庫化は書籍編集部長に再び拒否されました。数年経って、幻冬舎を立ち上げた僕はまたまたタイトルを変えて[竜二ー映画に賭けた33歳の生涯ー]として幻冬舎アウトロー文庫として刊行しました。

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  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    映画[竜二]のクランクイン直前、新宿のドゥ・スポーツ・プラザで毎日のように2人でトレーニングに励んだ記録は今でも僕の手元に残っています。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2018年7月の投稿をリトークさせて頂きます。

    親父の歴史の一端を知る事が出来るSNS「755」に感謝します。
    金子正次の映画に賭けた生涯に思いを馳せます。果たして僕は鮨に人生を捧げられているのだろうか。命を賭けて生きるんだ。

    親父が編集された[竜二ー映画に賭けた33歳の生涯ー]を、すぐに購入しようと思います。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。