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見城徹

↑ この引用はどの本からだろう?銀色夏生の文庫書き下ろしは僕が考え、会い、交渉し、企画会議を強引に通した。その時はカドカワの誰も銀色夏生を知らなかった。最初の一冊[これもすべて同じ一日]を出した。売れなかった。二冊目[わかりやすい恋]は銀色夏生の強い希望でデビューしたばかりの森高千里をモデルにして北海道の礼文島で銀色夏生が写真を撮影。それと銀色夏生の詩を組み合わせた。これがジワジワと売れて、やがて爆発した。それに連れて一冊目も売れ出した。三冊目の[LESSON]、四冊目の[Go Go Hevenの勇気]と勢いは加速した。 僕がカドカワを辞めるまで僕は13冊の銀色夏生の書き下ろし文庫を出版し、その全てが100万部を超えている。凄まじい売れ方だった。 僕が編集者としてしたことはたった一つ。 銀色夏生の思い通りに本を作ること。タイトルは勿論、中身から装丁、文字や紙の選択から文字組まで全ては銀色夏生がした。編集者は一切口を出さなかった。いや、出せなかった。こうして100パーセントピュアな銀色夏生の世界が次々と出版されて行った。カドカワの最後の日、僕は銀色夏生と西新橋の「京味」でご飯を食べた。その時、銀色夏生が言ってくれた言葉を僕は忘れない。 『見城さん、今後大変でしょう?お金が足りなかったら言って下さい。私が出します』 勿論、お金を借りることはなかったが、銀色夏生には恩があると思っている。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    朝から悩んでいる。何かに悩んでいるとかでは無しに、歳を重ねること自体に悩んでいると言った方がいいかも知れない。若い時は問題にならなかったことが、この歳になると問題になる。65歳を過ぎたあたりから歳を取ることの苦しさが身に沁みて来た。石原慎太郎さんは73歳の時はどうだったんだろう?と思い出してみる。自分と奥様の死後に出版して欲しいと託された石原慎太郎さんの自伝[「私」という男の生涯]をパラパラとめくる。読む度に新鮮な発見があるが、当然ながら答えは出ない。加齢。老化。厳粛な事実。ボクシングのトレーニングを始めてもそれには逆らえない。
    「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
    [方丈記]の冒頭が胸に刺さる。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    今日もまた奇跡の様な素敵な物語がありました。

    僕と女将がずっとコンビニを梯子してまで探し求めていた「ぷるるん食感 黒みつわらび餅」を本日遂に念願が叶い、食べさせて頂く事が出来ました。シンプルで甘さ控えめで食べ飽きない優しい味。そして手も汚れない様に食べやすくなっている!すぐ売り切れるのも納得です。
    とても美味しく頂きました。
    皆様、教えて頂きまして有難う御座います。

    実は、ある方々にご厚意で送って頂きました。二人の方から同時刻に同じ物が届きました。755で僕の投稿を見ていた「望月さん」と「Michiさん」が送って下さったのです。涙
    本当に開けてびっくりしました。そこには沢山の黒みつわらび餅!お心遣いに心から深く感動致しました。涙

    DMでお礼させて頂いた際に、同じ時間に同時に送られてくるなんて、お二人でご相談でもされていたのか聞いてみた所、それはたまたまの偶然だったのです。同じ時、同じ事を思って頂いていたのですね。
    また「755の奇跡」を目の当たりにさせて頂きました。
    貴重なお時間の中で僕達みたいな人間にまでお心遣い頂きまして感謝して御座いません。心より御礼申し上げます。

    お二人のお気持ちが本当に嬉しくて泣けてきました。いつも僕の拙い文章にお付き合い下さいまして誠に有難う御座います。
    まだまだ若輩者では御座いますが、日々精進して生きて参りますので、今後ともどうぞご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。