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ゆうこりんのトーク
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  • ゆうこりん
    ゆうこりん
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    田中一村の「白い花」は、1947年(昭和22年)に第19回青龍展に初入選した作品です。田中一村記念美術館に所蔵されています。---AI先生---
    ↑は拾い画像ですが、昭和22年の段階では[個人蔵]となっていることに驚き。

    川端龍子が主催する【青龍展】で初入選。
    公募展で入選した唯一の作品である。
    とはいえ、この後、二作品を公募展に出して、一作品入選したのだが、もう一作が自信作だったためか(?)激怒して、入選を辞退したらしい(笑)

  • ゆうこりん
    ゆうこりん
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    30歳のころには、母方の親戚を頼って千葉に移住。それから約20年間、農村の風景、自然景色、動植物の写生に没頭します。昭和22(1947)年に「白い花」で画壇デビューを果たすとともに、米邨から一村へと改名。その翌年に発表した「秋晴」は、南画で獲得した自由な筆さばきと、写生で培った自然観察をもとに描かれた大作です。---個人ブログ

    これが、入選しなくて激怒した[秋晴]。
    濃淡を活かした金箔を背景に、厚く盛った木の葉や大胆な構図が素敵です。
    千葉時代の[写生生活]があればこそ、50代で奄美に移住してからの作風に突入し、情熱が溢れていったのだろう。と思います。

  • ゆうこりん
    ゆうこりん
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    南画(なんが)とは、中国の南宗画に由来し、これを日本的に解釈した絵画であり、江戸時代中期以降に発展をみた絵画様式である。文人画(ぶんじんが)ともいう。絵画のみならず、漢詩や俳句といった詩(言語芸術)と、それを記した書である画賛(視覚芸術)を組み合わせた芸術であるが、絵のみで成立していることも多い。

    若くして南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」と呼ばれ、7歳の時には児童画展で受賞(天皇賞もしくは文部大臣賞)。

    1926年 - 東京市港区の芝中学校を卒業する。東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学。同期に東山魁夷、加藤栄三、橋本明治、山田申吾らがいる。しかし、学校の指導方針への不満や父の病気などが原因で同年6月に中退。趙之謙や呉昌碩風の南画を描いて一家の生計を立てる。

    ---Wikipediaより抜粋

    一村と[南画]の繋がり。