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吉田真悟
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No.372 『M -愛すべき人がいて-』 小松 成美 著 (2019/07/30 幻冬舎) ※企画:藤田晋(報酬なし) 2019/08/03(読了 08/01) いきなり「事実に基づいたフィクションである。」とある。 どこがどれほどフィクションなのか全くわからんが答えあわせは無理そうだ。 全編、浜崎あゆみさん(あゆ)の目線で、当時エイベックスの専務であり辣腕プロデューサーであった松浦勝人氏を一途に想う切ない気持ちを『熱狂宣言』の小松成美さんが赤裸々に情熱的に綴っている。 高校生のあゆが15歳上の松浦氏に出会い、見初められ、プロデュースされ頂点まで翔け上がるまで、ワクワクハラハラするも、全ての曲の詞が松浦氏一人に向けたラブレターだった事実に驚く。しかし、松浦氏は伴侶としての彼女ではなくアーティスト浜崎あゆみをプロデュースする事に徹し、すれ違い、別々の道を歩む事に。 父性の欠如した家庭に育ち、それを松浦氏に求めたとも思えるから、 この辺りのあゆの気持ちがね、大変いじらしく切ない。 しかしデビュー当時二人は付き合い一緒に住んでいたんだね、よくバレなかったなぁ。(ー ー;) そして昨年、デビュー20周年を迎えて、再会しタッグを組み直す。それぞれが色々な経験を経た分だけ前より深く理解し合えて。めでたしめでたし。 さてこのタイミングでのショッキングな告白に松浦氏がどう応えたのだろうか。答えはカバーの写真にありそうだが、鈍感なのでよくわからん。いつもの照れ笑いする松浦氏の顔が目に浮かぶのだが、今後『M』を聴くときは敬意を払おう。しかしマリアがマサで勝人だったとはね。 【登場人物】 浜崎あゆみ(本名:濱崎歩):福岡出身で母子家庭に育ち、母、祖母と3人で東京で暮らしていた。松浦勝人氏と出会いニューヨークでのボイストレーニングを経て1998/04/08に19歳でCDデビュー。 松浦勝人:正体不明。あゆと出会った時はエイベックスの専務。 彼女の15歳上。今は会長。 ※エイベックスのお家騒動の時、社の売上の4割を占める浜崎あゆみ氏が松浦氏を支持した事により現在の松浦体制が出来上がった事を思い出しました。まぁそういう絆がある。 徹の部屋では怪獣と化していたが、今回、私の中でかなり男をあげる事に。羨ましくて、このやろーとは思うが。 #M #幻冬舎 #小松成美 #浜崎あゆみ #松浦勝人

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前略 見城先生
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  • 吉田真悟
    吉田真悟

    Yutaka Takagi on Instagram: "横田君に会いに行ってきた!

    冒頭の語りでもう涙😭
    彼と食事を一緒にした時のことを思い出す。

    あがり症で不器用で、でも真っ直ぐで素直な性格は誰にでも愛されたのだろうなと感じていた。

    この映画では、いっぱいの愛が語られていた。

    エンドロールで本人の写真や映像が流れいろいろな思いが溢れてしまった😭

    横田、いつまでも俺の中では
    生き続けているよ。

    #横田慎太郎
    #阪神タイガース
    #栄光のバックホーム" https://www.instagram.com/p/DR4G9G_j8WE/?img_index=2&igsh=MTQxYXN6NmVjNzM1eQ==

  • 吉田真悟
    吉田真悟

    ↑この人のブログの文章

    今回ご紹介する本は、横田慎太郎さんの『奇跡のバックホーム』(幻冬舎文庫)と中井由梨子さんの『栄光のバックホーム』(幻冬舎文庫)です。

    『栄光のバックホーム』を読書会で紹介いただきました。

    野球少年だった過去があるので興味を持ち読みました。

    将来を嘱望されながらも、脳腫瘍に侵されそれでも野球に向き合っていく横田慎太郎選手の自伝が『奇跡のバックホーム』です。

    その横田選手のお母様の視点から書かれたのが『栄光のバックホーム』です。

    併せて読むのをおすすめします。



    脳腫瘍の手術から一時は目が見えないという状況になりました。

    光を取り戻したあとも懸命のリハビリを行いました。

    その甲斐もあって体力や視力は戻ったのですが、視界のぼやけ等は最後まで治らずに引退をすることにしました。

    2軍での引退試合にはクライマックスシリーズ中にも限らず1軍選手が観にくるほどでした。

    横田選手の人望の厚さがうかがえます。

    8回裏2アウトから守備に入ります。

    そこで魅せたバックホームのプレーは今でも語り継がれています。



    プロ野球選手の父を持つ横田選手は昔からプロ野球選手になるのが夢でした。

    その大きな目標に対して小さな目標を立て、ひとつずつクリアをしていくという生活を送っていました。

    野球一筋であったので野球ができなくなるかもしれないと感じたときの絶望は想像を超えるものだと思います。

    それでも懸命にひた向きに野球に向き合っていきます。



    二冊読みながら、また映画を見ながら母親の存在の大きさと強さを感じました。

    私も入院生活を送ったことがあります。

    私の場合、精神疾患でしたが薬の副作用でほとんど記憶がない時期もあります。

    そんなときでも母親は欠かさずお見舞いに来てくれました。

    回復の過程でも福祉サービスを調べてくれたりと色々なサポートをしてくれました。

    今自分がこうして生活できているのも母親のおかげだなと思いました。



    母親とはいえ正解はわからないはずです。

    そのような中でも灯台のように行く先を照らしてくれる存在だと感じました。



    病気になってよかったと私は思ってはいません。

    それでも病気が教えてくれたことというのはたくさんあります。

    それを伝えていくということはできますし、それこそが私の使命でもあると思うのです。



    横田選手はお母様をはじめ家族やタイガースの選手、球団スタッフ、ファンなど多くの人に支えられました。

    それと同時に多くの人に生きた証を残してくれました。

    私自身限りある命を大切に使っていきます。