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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    奥平 剛士(おくだいら つよし)
    1945年(昭和20年)7月21日 - 1972年(昭和47年)5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。
    1964年、京都大学工学部に入学。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2026年1月の投稿をリトークさせて頂きました。

    僕もかつて行かせて頂いた、ローマの景色が頭の中を巡ります。己の信念のため、純粋なまでに殉じる覚悟をしながらも、無邪気に笑う「奥平剛士」の姿を想像します。残酷な覚悟を決めた漢の背中は美しくもあり、哀しくもあります。
    死を意識することで、初めて生を実感する事が出来る。死の淵から生を照らせ。今日を大切に、懸命に、感謝の念で生きるのだ。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    人は死ぬために生きる。死というゴールに向かって全てのことは進んで行く。ならば、日々をどう生きるか?
    一日一生。毎日、死を覚悟して生きる。
    それを続けるしかない。死は常に生に同居している。死ぬために今を全力で生きる。
    生きるとは死ぬことと見つけたり。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2026年2月の投稿をリトークさせて頂きました。

    いつ訪れるかもわからない人生の終焉。その瞬間、僕は微笑んでいたいから。
    絶望し切って、後悔し切って、全力を出し切って、血を流し切って、この命を使い切る覚悟で、かけがえのない今日を生きるのだ。
    その為に、弱い自分を切って切って切り捨てろ。己の屍の上を行け。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 僕がKADOKAWA時代に関わった映画の主題歌。今朝、聴いて胸に沁みた。全力で走り抜けていた50年前の[野性時代]編集部の青春が甦る。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    25歳の時、[野性時代]編集部に配属された。中上健次、村上龍、つかこうへい、高橋三千綱、立松和平らと毎夜のように酒を飲んだ。大阪の宮本輝からは週に3度は1時間を超える電話がかかった。角川春樹社長からもしょっちゅう食事に誘われ、それも出来る限り駆けつけた。一方で、五木寛之、石原慎太郎、水上勉、森村誠一、大藪春彦、高木彬光といった大家の方々ともガンガン仕事をしていた。数年後、林真理子、山田詠美、森瑤子らが華やかに登場し、彼女らにものめり込んだ。疾風怒濤の時代だった。寝る時間をどうやって確保していたのか今となっては謎だ。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2026年3月の投稿をリトークさせて頂きました。

    僕がまだこの世に生まれる前から第一線で活躍し、時代を作り上げて来た親父。その裏で一体どれほど苛酷で、どれほど孤独な戦いがあったのか想像を絶する。ただひとつ言えることは、その影響を受けながら、僕は少年時代や青春時代を過ごして来た。
    昭和が終わり、平成が終わり、令和となった今もなお最前線に立ち、自らを奮い立たせながら圧倒的努力で孤高に挑む、あまりにも大きすぎる親父の背中。
    未熟な僕がこんな所で立ち止まってはいられない。いざ進め、精進の道。