削除されたユーザー削除されたユーザー 圧倒的努力。場面を張れよ。憂鬱でなければ、仕事じゃない。苦しくなければ、努力じゃない。切なくなければ、恋愛じゃない。ノー・ペイン、ノー・ゲイン。痛みのないところに、前進はない。恋はあなたを裏切るが努力はあなたを裏切らない。こっちが想っているほど相手はこっちを想っていない。考えて、考えて、考え抜く。どうせ一夜の夢ならば身をも散らして狂うのみ。人生を危険に晒せ。茨の道を選ぶんだよ。人生は一瞬先は闇の綱渡り。小さなことにくよくよしろよ。極端こそ我が命。正面突破。暗闇の中でジャンプ。人生は野菜スープ。無理を通してこそ努力。他者への想像力。
出来るか?出来ないか?ではない。やるか?やらないかだ。
↑杉本さん作、GNOパーカーのバックプリントは見城さん語録が鬼プリント!すごっ!!
anreoのトーク
トーク情報anreo anreo 見城徹見城徹 自分が相手の気持ちを考えるほど相手はこちらのことを考えていない。それを当たり前のことだと割り切らない限り、仕事や人間関係は辛くなる。
相手に期待しないこと。しかし、相手には出来るだけのことをすること。
時たま苦しく、切なくなるがそれを飲み込まなけば日々は成立しない。自分の未熟さを痛感する。同時に、企業を作り、存続させるのは孤独だなあ、とも痛感する。
自分で汗をかきなさい。
手柄は人に渡しなさい。
そして、それを忘れなさい。
ーー前半2行は竹下元首相。後半1行は氏家日本テレビ元会長
タフでなければ生きていけない。
優しくなければ生きていく資格がない。
ーーレイモンド・チャンドラー
僕はまだまだ未熟でおセンチで甘ちゃんだ。それでもここまでやって来た。辛く苦しい道を自ら選んで来た。損得計算はなかった。鮮やかな結果を出して、会社と社員を守りたかっただけだ。社員にはいい人生になって欲しい。
人を怒るのは己の未熟。
人を恨むのは己の未熟。
人が理解してくれないのも己の未熟。
全ては天が見ている。
自分に言い聞かせる。anreo 見城徹見城徹 いつも思うことがあります。何故、日本は会食をするとみんなお土産を持ち合うのだろうか?
僕はお土産を持って行くことは滅多にないです。相手が欲しいものを持って行ける訳がないからです。たまに、自社の相手の人が興味がありそうな本を持って行くだけです。
僕のように365日会食をしていると、お土産のお菓子や果物が毎日たまって行きます。3人と会食すると3つのお土産を自宅に持って帰ることになります。こちらが招待する時は、招待状に「お土産のご配慮は無用に存じます」と書き添えますが、大概の場合それでも先方は持って来ます。
かくしてお土産は家の中に毎日積み上がり、マンションの管理人の方々や、僕の社用車のドライバー2人、掃除サービスのお姉さんたち、その他の方々に渡ることになります。
中には秋元康さんのように、相手の喜びそうなものをそれこそ秘書の方と命懸けて探して持って来てくれるケースもあり、それは楽しみに自分で戴きますが、多くの場合は儀礼的なお土産です。お互い大変だし、いっそそんな習慣はなくした方がいいと思うのですが、やはり今日も続きます。
僕はこの習慣は無駄だと思いますが、このことがお互いの心の交流を深め、日本経済にも貢献していると考えると、声高にも否定出来ません。
僕の会社はお中元、お歳暮も廃止しましたし、僕は年賀状も出しません。贈りたいものがあればその都度贈ればいいし、伝えたいことがあれば、その都度手紙を書けばいいと思っているからです。つまり、儀式的な虚礼が嫌なのですが、そんな風に考えるのは僕だけなのかもしれませんね。
何だか書きたくなってしまった戯れ言でした(笑)。