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見城徹

いつも思うことがあります。何故、日本は会食をするとみんなお土産を持ち合うのだろうか? 僕はお土産を持って行くことは滅多にないです。相手が欲しいものを持って行ける訳がないからです。たまに、自社の相手の人が興味がありそうな本を持って行くだけです。 僕のように365日会食をしていると、お土産のお菓子や果物が毎日たまって行きます。3人と会食すると3つのお土産を自宅に持って帰ることになります。こちらが招待する時は、招待状に「お土産のご配慮は無用に存じます」と書き添えますが、大概の場合それでも先方は持って来ます。 かくしてお土産は家の中に毎日積み上がり、マンションの管理人の方々や、僕の社用車のドライバー2人、掃除サービスのお姉さんたち、その他の方々に渡ることになります。 中には秋元康さんのように、相手の喜びそうなものをそれこそ秘書の方と命懸けて探して持って来てくれるケースもあり、それは楽しみに自分で戴きますが、多くの場合は儀礼的なお土産です。お互い大変だし、いっそそんな習慣はなくした方がいいと思うのですが、やはり今日も続きます。 僕はこの習慣は無駄だと思いますが、このことがお互いの心の交流を深め、日本経済にも貢献していると考えると、声高にも否定出来ません。 僕の会社はお中元、お歳暮も廃止しましたし、僕は年賀状も出しません。贈りたいものがあればその都度贈ればいいし、伝えたいことがあれば、その都度手紙を書けばいいと思っているからです。つまり、儀式的な虚礼が嫌なのですが、そんな風に考えるのは僕だけなのかもしれませんね。 何だか書きたくなってしまった戯れ言でした(笑)。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    MiRAIMiRAI

    見城さん!!嗚呼!
    (勝手にたまらなくなっています 泣!!)
    いや。勝手に痺れています。
    すみませんが、たまりません!!

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI

    勝手に興奮してしまいました。
    恥ずかしいのですが、これが私!
    ありがとうございます。

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI
    投稿画像

     昨日行った[Katsu's(逗子)]。

     見城さんと石原慎太郎さんが何度となく通われたイタリアレストラン。
     
     敷居をまたぐことすら身の程知らずだと思うのに、それをまたぬけぬけと恥ずかしげもなく755にアップする。もう何度目だろうか。
     
     行為をすると湧き上がる、矛盾、葛藤、相剋の苦しみ。それでも行為する。私は自分の心にアンカーを打ち込み展開させる為にこのレストランに来る。大袈裟に聞こえると思いますが、かなり真面目にそう思っています。

     お店に入るとまず石原慎太郎さんが持ち込まれた故横山 泰三画伯の絵画に目をやります。
     この絵をみて、最初の頃は霊の世界の女性なのだろうかと思う程度だったのですが、今では[「私」という男の生涯(著 石原慎太郎)」に登場する若い女性の心をイメージしたり、石原さんの短編小説[鱶女(ふかおんな)]をこの絵を重ねたりしながら、ここで食事をする意味を噛み締めています。とても贅沢なことです。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ MiRAIが何故そんなに興奮するのか?
    それはあることを[カツズ]で企んでいるからです。いい話です。多分、自分で説明するでしょう。