見城徹のトーク
トーク情報見城徹 勇勇 一番ううっ(泣)ときたシーン
尾野真千子さんが平泉成さんに「お父さん…」と寄り添うシーン
おおっとずっーと観ていたかったシーン
佐藤浩市さんが皆んなと屋上で走るシーンの「あの笑顔」
羨ましいなと思ったシーン
病室で大義くんに寄り添いながら動画を観る福本さん。白のニットを着ていたのかな。
悔しかっただろうな、彼女に一般的な幸せを感じさせることができなくて。
「市船ソウル」野球部のチャンスの場面で流れる応援歌。
確か、野球では塁に出た走者がホームベースに辿り着くことを「生還」すると表現していたと思う。
大義くんも「病気」という塁に出てしまった自分に応援歌を歌うことによって、皆が祝福するペンチに戻りたかっただろう。
見城さんがいう、「表現」とは「自己救済」という言葉を借りれば、究極の自己救済であり、「匿名性」を有して市船の「神曲」になり得たのだろう。
僕も「チャンス」のとき「ピンチ」のとき応援歌を見つけたい。
映画公開初日、埼玉では夜半に雷鳴が轟いていた。
劇中でも「雷⚡」の訪れが大義くんの体に異変が起きたように感じた(記憶が曖昧)
何かしら神からお告げがあったように感じた。
雷鳴は夏の始まり、夏の甲子園の予選が始まる。
夏が来るたびに、スタンドでは「市船ソウル」が奏でられる。
五線譜に込められたメッセージとともに、夏の青空へ響き渡る。
人は必ず死ぬ。終わることは決まっている。
伝えたい気持ちは今、伝える。
見城徹 タクマタクマ TOKYO SPEAKEASY
2022.5.25
見城徹(幻冬舎社長) / 秋山純(映画監督)
⑦見城徹さんの20歳の頃の話
見「俺はね、20歳って言ったらね、運動は運動でも学生運動にエネルギーを費やしていた。こんな貧富の差があるのはおかしいとか、この社会の矛盾は直さなきゃいけないとか、今考えればものすごい純情に生きていたわけですよね。それでゲバボボってヘルメット被って、覆面して、というようなことをやっていたわけですよ。で、一緒にデモに行く、高校の時の1年後輩の女性がいて、その子と3畳1間の下宿に住みながら、まさに『神田川』の世界ですよ。それでそんなことをやりながら、だけど2人で居れば何にもいらないって感じで、ただあなたの優しさが怖かった、みたいなそういう世界だったんですよ。だけど『20歳のソウル』を観てしまうと、俺は20歳の頃って子供だったなぁと思うんです。大義君はやっぱり病気になったことでものすごく大人になったし、それから病気になったことで福本莉子演じる彼女との恋がものすごく輝くものになった」
秋「彼はいろんな人のために生きるってことをナチュラルにできる、優しさとか。自分の20歳の時を思うと、あんなに勇敢に病気に立ち向かえないなって思うんですよ。毎日毎日泣いちゃうと思うし、怖いし、震えるし。でもそれを彼は音楽ってものがあったし、彼女もいたし、そこで勇敢に立ち向かって、最後に病室での佐藤浩市さんと楓珠君の会話があるんですけど、あれは本当に大義君と高橋先生が病室で会話したことなんです。2人で音楽の話だけして別れたと。それが最後だったそうです。そこを高橋先生が、そこを描いてくれないかなぁってボソッと言ったんです。そしたら中井さんが書いてくれて、あれすっごいいいシーンになったと思う。やっぱり2人で男同士だから、大丈夫か?って言いたいけど、言えなかったり、先生って言いたいけど言えなかったり。だけど2人の共通する思い、音楽ってことをやることによって、きっと心のやりとりができた」
見「だから浅野大義君、『20歳のソウル』の主人公を神尾楓珠君が演じるんだけど、20歳っていう短い人生を本当に生き切って死んでいったよね。そういう映画だよね」
秋「そう思います。20歳っていうのは、僕は色んなところで1人の若者がって言わずに、1人の男がってずっと言ってるんですよ。20歳の浅野大義君を本当にリスペクトするっていうか、男としてあっぱれだなって思います」
見「だから僕はこの映画を観て、俺の20歳は生き切ってなかったなぁって」
秋「そんなことないですよ」
見「いやいやそうだよ。しみじみと思ったよ。俺も命懸けで運動をやってたつもりなんだけど、しみじみと思ったよ。『20歳のソウル』っていうのは色んな意味でとんでもない映画になったよ」
秋「これが今日本中、世界中、コロナとか世界情勢とかの時に、一人ひとりが何か自分だけの『20歳のソウル』が生まれてくれれば」
見「その人その人の『20歳のソウル』を生んで欲しいよね」