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てんあつ

恐れ入谷の鬼子母神 慣用句 恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん) 相手の言うことには同意するが、そのまま認めるのは癪に障るとの意で用いる地口。「おそれいる」と「入谷(江戸の地名)の真源寺に祀られる鬼子母神」を掛けたもの。 なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。(林不忘 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』) 由来 太田蜀山人の狂歌に由来するといわれる。『放歌集』に収録されるものに「いまさらに恐れ入谷のきしも神あやうく過ぎし時を思へば」があり、また、巷間に伝わるものとして「おそれ入谷の鬼子母神 そうで有馬の水天宮 志やれの内のお祖師様」(「そうで有馬」を「どうで有馬」とするものあり)があるが詳細不詳。 ↑Wikipediaより拝借。

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片雲の風にさそはれて
トーク情報
  • てんあつ
    見城徹見城徹

    [はち切れそうな自意識]や[書かなければ死んでしまう]は表現の根本です。人は表現することによって救われるのです。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    人間は生まれた瞬間から死のキャリアである。ゴールは死であって、それを避けることは誰も出来ない。つまり、死ぬために生きることになる。どうせ死ぬんだけど、それまでをどう生きるか?それが人生だ。僕は何をしていても、今やっていることは死ぬためにやっているんだという感覚から逃れることが出来ない。それでもやる。やり切る。苦しくて辛い道を行く。それこそが[死]が確定している日々を充実させるんだと思っている。僕は死ぬために今日を生きる。

  • てんあつ
    見城徹見城徹

    90歳で死ぬとして、今日誕生した赤ちゃんは後90年、僕は69歳だから後21年。そこには大した差はないように思える。多分、僕が産まれた日に69歳の人の誰かがそう思ったかも知れない。69年後、今日産まれた誰かがそう思うかも知れない。時はあっという間に過ぎる。死ねば自分の産まれる前に戻る。産まれなかったら楽だったなあ、と思うけど産まれてしまったんだから仕方がない。死ねば楽になる。そう思って今日を苛酷に生きるしかない。

  • てんあつ
    見城徹見城徹
    投稿画像

    青山のスタジオで[ゲーテ]坂本龍一の撮影中。カメラマンは勿論、操上和美さん。眼鏡のアイヴァンのページです。

  • てんあつ
    てんあつ

    ↑2020年3月〜見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

  • てんあつ
    てんあつ

    4年の月日が流れた。

    生老病死。生きとし生けるもの全てのものに平等に訪れる死を、1日1日と背負いながら1本道を歩き続けて行く。
    何て残酷で、かくも優しき生命哉。残酷な人生も、死ねると解れば優しく映る。
    有難さの意味を紐解ける時間に感謝している。僕も、もうそんな年齢であることをこの755から報らされている。
    小さな喜び、小さな悲しみ、小さな幸せ、小さな嘆き。死ねる日には、小さなガッツポーズと小さな合掌をして逝きたいものです。

  • てんあつ
    てんあつ

    「平成元年生まれです」とか言われてもピンッと来なくなっちゃってヤバいですね💦
    悲しいことに西暦で言われたほうが理解が早いわー。

    明治45年、大正15年、昭和64年、平成31年、令和~。今さらおさらいしてみました(笑)。