
絶望しきって死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
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5回目の映画[栄光のバックホーム]。
何度この時間を過ごしても涙がとめどなく出てくる。
755や日々の中でどれだけカッコいい言葉を吐こうとも、いろんな人の前でカッコつけてみようとも、僕は日々自分の甘さに負ける、ちっぽけな情けない男だ。
観るたびにこの事実を再確認し、悶え、苦しみ、その先に時間と人を大切にしようと改めて決意する。
この映画に出会えなかったら、僕はどうなっていただろう。
映画[栄光のバックホーム]は、巷に溢れる感動の実話だとか、成功譚だとか、そんな言葉で片付けられるものではない。
横田慎太郎さんが、圧倒的努力と素敵なお人柄で起こした奇跡と栄光の物語。
それを製作に携わった全ての皆様が熱狂し、圧倒的努力し、作るとか撮るとか演じるとかそんなことではなく、本物をスクリーンに映している。
横田慎太郎さんと、横田慎太郎さんを愛した者達の本物の物語がスクリーンの中にはあるのだ。
こんな映画後にも先にも絶対にない。
今回は母が誘ってくれた。
母はなんと6回目。
年末に近しい方を立て続けに亡くした際、どんな時も気丈に振る舞う母が珍しく落ち込んでいた。
そんな時に母を救ってくれたのが映画[栄光のバックホーム]だった。
今回なぜ誘ってくれたのかと聞くと、つい先日癌で闘病中だった同僚が亡くなり、その事実から前に進むために観に行きたいのだと教えてくれた。
生とは死だと、永遠とは一瞬だと、無限は有限だと、わかっていても母はその事実をを受け止めきれていなかった。
映画[栄光のバックホーム]を観ることで、その事実を「今日をちゃんと生きる」という気持ちに昇華させていたのだと思う。
母も僕も人生を変えてもらい、救ってもらっている。
当たり前だと思うこのひととき、今日1日。
この1日だけが一生であり永遠。
人それぞれの人生があり、その人達にそれぞれの生きる意味があるのだと思うが、この1日は誰かが生きたかった、渇望した1日。
適当に生きるわけにはいかない。
トレーニングしてから寝よう。
特大の自意識があり、まだまだ母離れできてい子どもな自分を恥ずかしく思います。 - 死ぬために生きる
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↑YouTube[ReHacQ]のヨシダナギさんご出演の回を拝見し、僕のバイブルである見城さんのご著書[読書という荒野]、2017年5月24日公開のNEWS PICKS[リーダーの教養書]での見城さんのお言葉と箕輪さんのコメントに通ずるものがあると感じた。
そして自分の心の中を整理できた気がする。
僕は心のどこかで、自分自身の人生や甘さから脱獄、解脱したがっている。
ようやく取り戻したプロサッカー選手としての生活。ましてやその生活は長くても残り1年半。
それにもかかわらず、リーグ優勝と国際大会が目前にあるクラブの契約更新を断り、英語圏の国の魅力的なクラブのオファーを断った。
こんな自分にオファーをくれること自体大変恐縮で有り難いことだが、オファーを受けて気持ちがいい場所へ行くことの嫌悪感を感じていた。
オファーもない、練習を受け入れてくれるかもわからない、英語も基本的には通じない、そんな国やクラブに、片道切符で挑戦しに行く。
これらや年齢のことなどを考えると、サッカー関係者は皆僕のことを馬鹿と言うに決まっている。
豚に喰われたくないので夢は語らない。
情けないのでその可能性の低さも語らない。
しかし暗闇で、危険で、茨の道であることは事実。
無理と無謀。
「自分の貨幣と言語が通じない場所に行く」ことで、圧倒的外部に晒され、揉まれる。裸形の自分。
自己愛とプライドを無くしたい。
憂鬱!






