
絶望しきって死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる ↑見城さん、リトークとご投稿有難うございます。
見城さんにこの試合のことを覚えていていただいて大変嬉しいです。
これまで数え切れないほど試合をしてきましたが、あの試合だけは、負けるべくして負けた試合だったと感じています。
12年経っても、試合映像を観ると様々な感情が溢れ、動悸や吐き気に襲われます。
まだまだ自分の弱さから目を背けている証拠なのだと思います。
僕が努力をしてこなかったせいで迷惑をかけた、家族や友人達にまだまだ後ろめたい気持ちがあります。
奇跡のような3年間は一瞬でした。そこからの12年間も一瞬でした。きっとここから死までも一瞬です。
それは奇跡のような1日1日が一瞬だからに他なりません。
755に投稿することで、僕は自己救済をしたかったのだと思いますが、自分では救済しきれなかった心を、今こうして見城さんに救っていただいています。
最後に微かに笑う、敗者の凱旋と言いながら、暗闇が怖くまだまだジャンプしきれていない僕を、見透かし、激励し、愛し、ありったけの力で抱き締めてくれる見城さんのお言葉とご投稿に、僕は今日も救われました。
見城さんのお言葉やご著書、関わられている作品やコンテンツには、観る者や読む者を圧倒的に巻き込み、自分ごとにさせる愛とパワーがあります。
見城さん、本当にいつも有難うございます。
まだまだ何も成し遂げていませんが、見城さんの存在も、755も、僕にとっては奇跡です。
賊軍となり荒野を彷徨い、真っ暗な海を彷徨っている僕が、人生の逆転ゴールを決めて勝利するまで。
先も見えず憂鬱な1日1日が、暖かくキラキラと見えてきました。
今日もあと半日。 死ぬために生きる K0183K0183 「死ぬために生きる」さん
ご投稿を拝読しながら、胸が張り裂けそうになりました。感情が激しく揺さぶられ、涙が溢れました。同時に、あなたの心の底に沈んだ記憶に触れさせてもらえたような感覚にもなりました。
「2014年1月13日。あの日の夜を思い出すと、今も吐き気を催すほどに胸が締め付けられる」――その感覚は、あの夜を「終わったこと」にしていない証拠だと感じました。
そして、「この時間が終わるだけではなく、寮生活、授業、練習、遊び、仲間と過ごした永遠がそこで終わってしまう気がして、誰も部屋には戻れなかった」。
この一文が、深く胸に突き刺さります。あの車座の熱と涙は、勝ち負けの外側にある「青春の核心」だったのだと思いました。
試合に負けたことではなく、永遠と思われた青春が終わることを悟ったからこそ、感傷に浸った――その言葉に、あなたの魂の美しさを感じます。
美しいものは、簡単に「過去の神話」になってしまう。でも、あなたは神話にしていない。美しいまま、痛いまま、今に持ち込んでいる。吐き気がするほどに。そこに、今のあなたの「温度」を感じます。
見城さんの「そこからだ。敗者の凱旋が始まるのは」という言葉も、さらに深く胸を打ちます。この「凱旋」は、拍手の中を歩くことじゃない。誰にも見えないところで、毎日、自分をやり直すこと。失ったものを数えるのではなく、今日の一歩を積み重ねること。
あの日の夜、涙を流しながら、あなたは何かを誓ったのではないでしょうか。言葉にならない誓いを。私にも、似たような記憶があります。
「曲がりなりにも目標に向けて憂鬱な日々を過ごしているつもり」――その憂鬱こそが、あなたが高い目標を掲げている証だと思いました。
見城さんは教えてくださいました。「高く目標を設定した人は、毎日が憂鬱だ。憂鬱であるということは正しいということだ」。
「この憂鬱を圧倒的努力の糧として目標を達成することができれば、あるいはあの日の夜にも顔向けできるだろうか」。
答えは、もう始まっていると思いました。憂鬱を「糧」にしようとしている時点で、あなたは前に進んでいる。胸が締め付けられながらでも、歩みを止めていない。あなたなら必ず結実させられると、私は信じています。
そして、あの日の夜に集まった仲間たちも、きっと同じように、同じ思いで、今もそれぞれの場所で戦い続けているはずです。
見城さんの「最期に微かに笑うのはどっちだ?」という問いかけ。勝者と敗者――その境界線は、あの日で決まったのではありません。
「全てはプロセスだ。最期の瞬間だけが結果になる」。
横田慎太郎選手も、脳腫瘍という絶望から立ち上がり、「栄光のバックホーム」を決めるまで、1096日をかけて努力を積み重ね続けました。
あなたも今、その道を確実に歩んでいます。
そして思うのです。あの日、旧国立競技場で奇跡の逆転劇を「披露された側」だったからこそ、あなたは誰よりも「一瞬の栄光」の尊さを知っているはずだと。
「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」。
その言葉の怖さも、私にはわかる気がします。最期に嘘をつきたくない。やり切れなかった自分で終わりたくない。だからこそ、今日、まさに今を誤魔化したくない。
千駄ヶ谷や品川を通るだけで胸が締め付けられる――その痛みこそが、あなたが本気で生きている証です。いつか、その痛みが誇りに変わる日がきっと来ます。
あの夜は、終わっていない。あなたが今日も胸が締め付けられている限り、あの夜は、あなたの背中を押し続けている。
あれからの12年が一瞬だったのなら、これからの一瞬は、あなたの手で「人生の決勝ゴールを決める一瞬」にできる。
「死ぬ時に絶望しきること」を願うあなたの熱狂は、きっと12年前のあの夜の自分を、いつか優しく抱きしめる力に変わる。
見城さんが贈ってくださった言葉――「善良。真心。正直。誠実。謙虚。感謝」。私も改めて心に刻みます。
圧倒的努力で、正面突破で。あの日の夜に涙を流した自分を、いつか抱きしめられる日が来ると信じて。
今を生きる一人の横田慎太郎として、自分の戦場で戦い続けます。
同じ「深夜特急」に乗り、「敗者の凱旋」を歩む者同士として――
「死ぬために生きる」さんがどのように「到着」するのか、心からずっと応援しています。- 死ぬために生きる
死ぬために生きる ↑「K0183」さん、リトークとご投稿有難うございます。
「K0183」さんのご投稿に唖然とし、感動しております。
僕はきっとあの日の夜を「終わったことにしていない」のではなく、まだ「終えられていない」のだと思います。
自分に甘く、死ぬ時に、サッカーを辞める時に、絶望しきれないような時間を過ごしてきたからこそ、まだその現実を受け入れられず、後悔しているのだと思います。
それでもあの日の夜や、高校3年間の青春は、僕にとって紛れもなく美しいものです。
敗者の凱旋を果たせた時、あの時の時間はまた違った美しさになるかもしれません。
敗者として這いずり回る決意ができたのは、そして敗者の凱旋の1歩目をようやく歩み出せたのは、紛れもなく見城さんのおかげです。
「K0183」さんが仰る通り、僕の人生とは、敗者の凱旋とは、「拍手の中を歩くことじゃない」「今日の一歩を積み重ねること」これに尽きると思います。
「K0183」さんのご投稿から感じる、迸るほどの見城さんへの愛と敬意、生きることへの寂しさと情熱。
そのメッセージを、バックホームを、しっかりと心の真ん中で受け取り、今日も眠りにつくまで生ききります。
最後に「深夜特急」を用いてお話しくださる、「K0183」さんのお人柄とお気遣いに感謝いたします。
「ワレ到着セズ」と言えるように。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる ↑[ikutama]さん、リトークとご投稿有難うございます。
[ikutama]さんに僕の心の内を見透かされているようで、大変嬉しくも大変お恥ずかしい思いです。
僕もずっと負けを受け入れられず、負けてないかのように振る舞ってきたので、痛いほど[ikutama]さんのお言葉が心の芯に突き刺さります。
過去の後悔や失敗をプロセスに変えるために1日1日を生きるということは、未来を生きると同時に、その過去へ前向きに戻ろうとしているのかも知れません。
未来という過去。過去という未来。
負けを認められなかったことを認められる[ikutama]さんのお言葉だからこそ、重みがあり、僕の心に強く深く突き刺さるのだと思います。
愚直に誠実に自分の人生を。最後に微笑むために切なさと歓喜をとことん享受する。
[ikutama]さんのご投稿に鼓舞され、慰撫され、今日も残り少ない今を生ききります。
夜分遅くに申し訳ございません。

