絶望しきって死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる ![投稿画像]()
今日は祖母の祥月命日。
両親が共働きだったため、僕は幼少期の大半を祖母と過ごした。
サッカーに連れて行ってもらい、ご飯を作ってもらい、おねしょをすることも想定済みで一緒に寝てもらっていた。
そんな祖母も晩年は脳梗塞で身体が動かなくなり、亡くなるまでの10年ほどを特別養護老人ホームで過ごした。
祖母が亡くなったのは僕がプロサッカー選手として活動する1年前。
何も返せなかった。あの日ほど自分自身の腑抜けた人生に後悔した日はない。
こんなおセンチなことを書いている。僕はまだ祖母離れできていない。もっと言うと母離れもできていないかも知れない。
そんな祖母の誕生日は11月12日。
きっと偶然だが、必然と思いたい自分がいる。
僕の人生は、情けないことにどこを切り取っても敗者の物語。もちろん勝ちに越したことはないが、圧倒的に敗者の凱旋をしたい。自分や自分が愛する者への義理は通して死にたい。死ぬ時に微笑したい。
祖先の墓は故郷の山の中腹にある。いつも暖かくて冷たい風が吹いている。
投稿するかを悩んでいる間に、見城さんと箕輪さんの[敗者の凱旋]についてのご投稿が。
それでもなお敗者の凱旋という言葉を使った投稿をしてしまう僕の傲慢さと抑えきれない自意識。お恥ずかしい限りです。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 3月29日は僕にとって大切な日。いつか走馬灯を見るようなことがあれば、きっとあの日の情景も頭に浮かぶだろう。
1年前の今日、僕は下北沢の[はっぴいはうす]にいた。
箕輪さんが主催した[「見城徹」私物オークション]のお手伝いをさせてもらうためだ。
その頃の僕は、サッカーを休んで1年半が経ってどうしていいか自分でもわからなくなり、目標もなく実家にこもっていた。いや、正確には出れなくなっていた。
しかしオークションが開催されるのをSNSで知り、僕は反射的に参加の応募をしていた。大好きな箕輪さんの親である見城さんに、どうしても会ってみたかった。
その後、紆余曲折ありオークションのお手伝いをさせてもらえることになった。
前日に宿泊していたカプセルホテルで、[たった一人の熱狂]を読み直した。あの時の僕は、今よりも言葉を獲得していなかったから、熱い人だな、凄い人だなとしか考えられていなかったと思う。
当日、僕は珍しく緊張していた。準備の最中ドアのベルが鳴った。お店が貸切になっていることを知らない女性2人組だった。思わず笑ってしまうくらいの美人で、少し緊張がほぐれたのを覚えている。
それから程なくして見城さんが到着された。見城さんを目の当たりにし、緊張しながらも、心が、血肉が、全身の細胞が沸き立つのがわかった。
圧倒された。
内面から滲み出る魅力や強さ。しかし強さだけではなく、どんな人にも平等で細やかな配慮ができる優しさがある。
一体どんな生き方をすればこんな人になれるのだろうと、一気に惹き込まれた。もっと見城さんを知りたくなった。
見城さんと箕輪さんが並ばれている情景は、僕にとって筆舌に尽くし難いものだった。
オークション後すぐにAmazonで[編集者という病い]を買った。それから1か月ほどして755を始めた。始めるまでに1か月かかったのは、755を始めてしまえば熱が止まらないことがわかっていたから。しかし気持ちを抑えることができなかった。
僕は後悔や無念を抱いたまま無様に生きている情けない男だが、見城さんに出会えなければ、755が僕の日常に存在しなければ、そのダメさ加減にも気づけないままヌクヌクと日々を過ごしていたと思う。
見城さんにも、箕輪さんにも、奇跡のSNSである755をきっかけに出会わせていただいた皆様にも頭が上がらない。
見城さんに初めてお会いしてから1年が経った。
念のためにと買って行った白ワインは、まだ[はっぴいはうす]の冷蔵庫に眠っているだろうか。
