見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 たかのぶ見城さん初めてやじコメさせて頂きます!僕は2013.5.9坂本龍一さんがサントリーホールデビューと仰った日にホールで聴いていたのですが、終盤坂本さんが指揮され、指揮者で演奏が変わるのを目の当たりにし、衝撃を受けました。とても感動した記憶があります。20年前、僕が多感な頃にオーチャードホールで聴いたTrio World tour 1996と並んで、特に感動した坂本龍一さんのコンサートです。あのコンサートは凄かった。歴史的コンサートと言ってもいい。サントリー・ホールでは鳥肌が立ったクーベリック指揮の「わが祖国」以来だと思う。[モルダウ]からは僕は泣きっぱなしだった。あれから30年近く経って5曲目くらいから僕は泣き続けたよ。あそこに君もいたんだね。最初は静かに始まって、だんだん盛り上がり、[ラストエンペラー]に至って感極まって号泣したよ。あれを現場で観た人は幸運だったと思う。
見城徹 見城徹見城徹 Ken見城さん、こんにちは!たった一人の熱狂を読み、アナザースカイを見直して、改めて刺激を頂きました。いつも深みのある言葉をありがとうございます! 勢いのまま、先ほど宮益坂上のサンシャインジュースでリキッドサラダを飲んできたところです。これからの季節にもってこいのセロリが効いた美味しいジュースでした! これからも愛飲していきます! より前向きになれました!ありがとうございます!「アナザースカイ」も言葉から生まれた番組だと言えます。[極端]をどうイメージし具体的な言葉として実態を伴って定着させるか?ハワイに向かう飛行機の中で胃が痛くなるほど考えました。ディレクターに僕の思考を話し、撮影はスタートしました。例えば、コンドミニアム建築に参加する一つをとっても、考えに考え抜いて完成形をイメージし、言葉に定着させ、苦闘に苦闘を重ねて始まった仕事です。手の内を明かすの憚られましたが、[極端]を形にした実態があるのですから、視聴者に伝わる自信はありました。
サンシャイン・ジュースも同じです。
自慢のようになりましたが、これらが僕の葛藤そのものです。見城徹 見城徹見城徹 Kenアナザースカイの裏側には、そんなにも深い葛藤があったのですね。見終わった後、しっかりと『極端』という言葉が脳裏に焼きついておりました。コンドミニアム建築だけを取っても、パートナーの極端さ、立地の極端さ、そもそもの可能性の極端さ、様々な極端が散りばめられていました。 この話を聞いて内容を思い返すと、見城さんのキーワードへの思いを感じる素晴らしい情熱に溢れたVTRだと改めて感じます。有難う。[極端]を推し進めるのは、激しい葛藤と、正確な言葉、背負わなければならないリスク、困難を極める実践が必要です。しかし、それを乗り越えてこそ結果が出ます。出版以外のことで自分を晒すのは抵抗があったのですが、それも僕の生き方です。レストラン選びからジュース、建築まで総体が今まさに葛藤し、両極をスイングしている僕の生き方なのです。そう覚悟して撮影に臨みました。
見城徹 見城徹見城徹 ける“その距離を急ぐより どう飛んだか どこを飛んだのか それが1番大切なんだ さぁ心のままに” ↑AKB48の365日の紙飛行機の歌詞の一部です。 私好きなんですよね、このフレーズ。 見城さんは秋元康さんが書いた歌詞で好きなフレーズありますか?いつも少女たちの切なく、煌めく一瞬の気持ちを、今まで使われていない言葉で見事に表現してるよ。そして、生きて行こうとする彼女たちのけな気な心の奥深くに新鮮な言葉と思考で寄り添っている。こんな作詞家は空前絶後だ。激しく人を想い、傷付きながら懸命にもがく少女たちの柔らかな内面を、一つの匿名の生き物のようにこの世に存在せしめている。どのフレーズが好きかなどという問題ではない。永遠に続いている人がこの世に生まれ、青春というビタースイートな季節を迎え、胸が締め付けられるような恋をし、やがて、その季節の終焉をも予感せねばならない説明不可能な微妙な精神の営みを、一人の固有名詞の気持ちではなく集合名詞の気持ちに変換した秋元康のメロディーのディレクションを含めた曲作りは奇跡の産物だ。
見城徹 見城徹見城徹 nomura masaki結果無しでは意味が無く「頑張った事が財産になる」 とは負け犬の遠吠えです。 仕事でも妥協せず、努力をします。 また、貴書で紹介されている 「革命の季節 パレスチナの戦場から 」拝読致しました。 私の年代は、日本赤軍の事を詳しく存じ上げず、 過去の日本でこのような価値観を持ち、実際に動かれた姿に感銘を受けました。 私も一日一日熱狂し、見城様を追い越せるよう努力致します。 有難うございました。そうですね。負け犬の遠吠えを自分はしたくないんです。「革命の季節」もそうですが、自分の理想や観念の実践のためには「死」を選ばなければいけなかった人たちがいたことは確かです。感銘を受けるというより「自分は出来なかった」という事実は決定的です。それを1日たりとも忘れたことはありません。それを背負って生きているつもりです。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
吉田松陰の捕縛され、牢獄に向かう途中で忠臣蔵四十七士が眠る泉岳寺の前で歌ったとされる有名な歌です。胸に突き刺さります。