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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    神宮前のバー・ラジオに毎夜のように通っていたのが夢のようだ。どうやって時間を捻出していたのだろう?一番頻繁だったのは29歳から35歳ぐらいまで。バーテンダーはオーナーの尾崎さんと大西さん。後で三浦さんが加わった。大西さんは35年ぐらい前に逝き、尾崎さんも一昨年亡くなった。とにかく一日に一回、バー・ラジオに行かなければ気が済まなかった。坂本龍一と初めて会ったのも、楠田枝里子との初めて飲みに行ったのもバー・ラジオだった。食べ物はサンドイッチとオムレツだけ。カクテルが美味しく、ワインのラインナップも凄かった。低くジャズがかかり、話し声が大きくなると「お静かにお話し下さい」と書かれたコースターが目の前にそっと差し出された。コースターのデザインは和田誠だった。後に2ndラジオが南青山2丁目に出来て、神宮前の1stラジオは密やかに閉店。引き続き通った2ndラジオも6年ぐらいで閉店し、現在の3rdラジオが南青山3丁目にオープンした。バー・ラジオ。こんなバー二度と現れないだろう。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2022年3月の親父の投稿のリトークです。

    ひとつの時代を作り上げて来たレジェンド達が集まる場所「バー・ラジオ」。
    親父の投稿の中で未だその輝きを失わず、当時のお店の雰囲気や緊張感までもが伝わってきます。
    かつて素敵な場所が存在した。誰もがそんな場所を持っている。親父の思い出はいつもスケールが異次元。読んでいるとワクワクドキドキしてきます。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 神宮前の[バー・ラジオ]にいたバーテンダーの三浦くんが長野県のどこかでタイ料理の店をやっているらしい。バー・ラジオを辞めた後、六本木に和食の[定吉]を経営していた時もよく通った。僕は三浦くんの潔い感じが大好きだった。
    [バー・ラジオ]の大西さんは早逝してしまい、京都に隠遁したオーナーの尾崎さんも数年前に逝った。常連客だった和田誠、篠山紀信、色川武大、二川幸夫、坂本龍一(敬称略)らも今は無い。会食が終わった後、楠田枝里子と毎夜のように[バー・ラジオ]で待ち合わせて酒を飲んだ。飲まずには帰れなかった無軌道な日々。[バー・ラジオ]には僕の青春が埋まっている。それを掘り起こしに長野の三浦くんの店に行ってみたい。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    タイ料理が好きで色々食べに行きましたが、こんな洗練されたタイ料理は見た事がありません。写真で見るお料理が実に美しい。
    お店の外観も素敵すぎます。僕も行ってみたくなりました。

  • 見城徹
    見城徹
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