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三上雅博

↑ 親父が暗闇の中で覚悟を決めた時、それに応える様にケンジョーが勝利を手にした。 奇跡は偶然ではない。必然だ。 熱狂が奇跡を起こすのだ。 運命の瞬間を目の当たりにしました。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。

    2019年1月の親父の投稿のリトークです。
    親父のファーストペンギンの話が好きです。

    万に一の鯉が竜門に挑む。
    その竜門は回避もできる。
    立ち向かうのも逃げるのも自由。
    竜門に飛び込みその激流と戦い勝利した者だけが龍となり、さらに天高く登るのだ。

    ただ感謝と覚悟があれば良い。
    飛び込んでから考えろ。
    その先で戦うだけが人生だ。

  • 三上雅博
    三上雅博

    葛飾北斎は生涯で93回引越ししたと言われている。掃除が出来なくて家が散らかったら引っ越しを繰り返していたと言われているが、僕はただ圧倒的に引越し回数を増やしたかっただけだったと思っています。
    生涯100回引っ越す事。
    北斎はそれに挑戦していた。
    その道の半ばで死んだのです。
    -------------------

    幕府の表坊主に、寺町百庵といふ人あり。此の人、生涯に、転居百回すべしとて、自(みずから)百庵と号し、既に今は九十有余回の転居をなせり。余もまた百庵にならひ、百回の転居をなし、しかして死所を卜すべし。(『葛飾北斎伝』)

  • 三上雅博
    三上雅博

    どうせ引っ越すのだから、掃除している時間を捨て絵に集中する。
    どうせ引っ越すのだから、お手伝いさんも必要ない。
    きっと金にも執着していなさそうだし引越し費用の事など考えていなかったと思うんです。
    それよりもただ、100回引越ししたかった。
    きっとそれだけだ。

  • 三上雅博
    三上雅博

    よく考えるシリーズ。

    「自分がもし原始時代に生まれていたら」
    「自分がもし戦国時代に生まれていたら」
    「自分がもし江戸の末期に生まれていたら」
    「自分がもし第二次世界大戦下で生まれていたら」
    「もし文明が崩壊したら」

    僕はたまたまこの時代に生まれただけで、どの時代に生まれても必死に生きるしかない。いつの時代も一切皆苦。

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕が原始時代に生まれていたら、水辺で薄い石を鋭利になるまで研ぎ続けている事だろう
    それに集中し過ぎて死にそうだ。

    僕が戦国時代に生まれていたら、忠義を尽くす事だろう。主君の矢面に立って死するのみ。

    僕が江戸の末期に生まれたら、維新よりも鮨に夢中になったかな?

    僕が太平洋戦争下に生まれたら、特攻隊に志願する。命令では行かない。望んで自らの意思で逝く。

  • 三上雅博
    三上雅博

    北海道の千歳にある自衛隊基地のすぐ近くに外国人に売られた土地があり、そこは関係者以外立ち入り禁止と掲げられ、厳重に出入り口を硬められ、建物の屋根ではアンテナがぐるぐる回っていると教えていただきました。苦笑

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    『初恋』(2019.1.7掲載)
    静岡県立清水南高校。ずっと憧れていた1学年下の女生徒に卒業の直前に想いを書いて手渡した。
    東京の大学に合格し、彼女に何も告げずに高校を去って行くのはあまりにも後悔が残ったからだ。
    決死の想いは通じて、卒業式の日、校門前で待ち合わせて三保の松原まで海岸を2人で歩いた。それが初めてのデートだった。
    それから3週間、毎日会った。
    狐ヶ崎ヤングランドのスケートリンクで滑り、当時話題になっていた『若者たち』という映画を観、彼女の家の近くの丘にピクニックに行った。
    一時でも離れ離れになるのが怖かった。
    1969年4月4日。僕が東京へ行く日がやって来た。既に高校の授業は始まっていた。僕は1人でボストンバックを提げて、静鉄バスの小糸製作所前に佇んでいた。
    バスが到着した時、突然、彼女が走って来た。高校の制服姿だった。
    事情は解らなかったが、僕を見送りに来てくれたことは明らかだった。
    東海道線の清水駅まで2人でバスに乗った。プラットホームに立って、手を握り合って列車を待った。晴れてはいたが、強い風が冷たかった。
    言葉はなかった。2人とも泣いていた。全身が痺れるような切ない時間だった。
    50年が経ち、68歳になった。幾つかの恋をして、肉親や何人かの友人の死を見送った。自分の会社を立ち上げ、上場し、上場を廃止した。
    しかし、立ち尽くしながらあれほどまでに長い時間、涙をボタボタと落としたことは一度もない。

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