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三上雅博

↑ おはようございます。 2022年11月の親父の投稿のリトークです。 最近全然行けていない「スパゲッティながい」。シンプルでありながら悪魔的な中毒性を誇る唯一無二のスパゲッティ。 きっかけは勿論755。親父がヘビーローテーションで通うお店のひとつ。上京した際に、時間さえあれば必ずお伺いさせて頂いています。 僕も注文は一本槍。「玉子とベーコンのスパゲッティ醤油味」。毎回それしか頼みません。たまに欲張って大盛りにしてしまい、食べすぎてしまう事もありますが、何故か罪悪感はありません。 女将は、全種類制覇すると豪語して毎回違うスパゲッティを頼みます。僕も色々味見をさせてもらいますが、本当にそのどれもが美味しくて、優しくて、近くにあったら毎日通いたくなるお店です。 親父、素晴らしいお店をご紹介頂きまして誠に有難う御座います。 そろそろ我慢の限界だ。嗚呼、スパゲッティながいに行くためにわざわざ東京に行きたい。しかし、耐え忍ぶしか無い。 本日も皆様、宜しくお願い致します。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞の僕の連載コラム[窓辺]の第6回目です。
    『エド』(2019.2.11掲載)

    20年程前、熱海に温泉付きリゾートマンションの1室を持っていた。
    最上階の角部屋で地中海と見紛うような景色が見渡せて、一目で気に入った。
    森村誠一さんが「人間の証明」で人気絶頂の頃から各社の担当編集者が集合する会が年に2回盛大に熱海で催され、毎回出席していたので土地勘もあった。週末は熱海で過ごすことが多くなった。中華の「壹番」、フレンチの「カフェ・ド・シュマン」、洋食の「スコット」、しゃぶしゃぶの「はまだ」等によく通った。
    丁度、エドと名付けたシェットランドシープドッグを飼い始めたところだったのでエドとよく街を散歩した。フランス・ニースの海浜公園を彷彿とさせる海岸沿いをトレーニングも兼ねてエドと走った。子供の頃、飼い主夫婦の夫だけに喋る馬が主人公の「アイ・アム・ミスター・エド」というアメリカの連続ドラマがあって、大好きだった。だから馬に似た犬種で、いつか喋ってくれるという期待を込めて名前もそこから頂いた。走り終わった後、海を見ながら海浜公園のベンチに座って、傍らのエドに仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。エドはついに喋ることもなく15歳でこの世を去った。
    マンションは6年程で売り払ったが、何人かの作家が熱海に住んでいることもあって時々、熱海を訪れる。
    海岸に足を伸ばす。ベンチに腰をかける。あの頃、エドは僕を励ましてくれる一番の親友だった。目を閉じると熱海の海にエドの姿が浮かんで来る。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年2月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊「窓辺」に掲載された親父のコラム第6回『エド』。

    親父の追憶と、エドの写真。
    共に過ごした時間は、その場所に刻まれている。
    熱海の海沿いを走る親父とエドの姿が、今もそこにある。

    本日も皆様、宜しくお願い致します

  • 三上雅博
    三上雅博三上雅博

    映画「栄光のバックホーム」舞台挨拶での質問コーナー。

    一人の女性が秋山監督に尋ねました。
    「映画には、平泉成さんがご出演されていましたが、原作には登場しないと思うのですが、どなたかをモデルにされたのでしょうか?」

    そんな趣旨の質問だったと思います。

    秋山監督は、平泉成さんが松谷鷹也さんを応援されていること、そして、横田慎太郎さんの周りには、必ずそういう人達がいたはずだ、と答えられました。

    本当に、その通りだと感じました。

    横田慎太郎さんの、誰からも愛されるお人柄。
    病によって体力が落ち、視力が失われてもなお、周囲の人達に対して誠実に向き合い続けていたのだと思います。

    だからこそ、あの存在が自然にそこにいる。
    生き様とは、作られたものではなく、滲み出るもの。

    僕は、あのシーンが大好きです。

  • 三上雅博
    秋山純秋山純

    三上さん

    ありがとうございます

    舞台上からは言えなかったことがあります

    横田慎太郎さんの故郷
    鹿児島県のアパート近くに
    目が不自由なご老人が暮らしていて
    慎太郎さんがリハビリで散歩する時
    必ず挨拶を交わす仲だったそうです

    身体が思うように動かなくなった後も
    慎太郎さんは
    ご自分の身体のことより
    仲良しのご老人の目を気遣っていて…

    亡くなる直前に
    お母様に言われたそうです
    「◯◯さんは、目が不自由だから、近所で会ったら、僕の代わりにお母さんが気をつけてあげてね」と


    慎太郎さんからは
    学ぶことばかりです

  • 三上雅博
    三上雅博

    僕の父「三上勝利」。
    病に蝕まれ、モルヒネまで打って、今にも死にそうなのにも関わらず、早く退院して身体の不自由な叔父のタイヤ交換をしてあげなきゃって心配している。
    相変わらず馬鹿だなって思う。命が尽きるその時まで、人の心配ばかりする。

    でも、そんな馬鹿に、僕はなりたい。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第7回目です。
    『清水南高』(2019.2.18掲載)

    高校からの下校途中、西折戸から乗ったバスを新清水で途中下車し、清水銀座の戸田書店によく立ち寄った。50年前の清水銀座は賑わっていて戸田書店は人で溢れていた。小田実「何でも見てやろう」、柴田翔「されどわれらが日々―」、五味川純平「人間の條件」、高橋和巳「邪宗門」等は戸田書店で買い求めた。
    僕は本の巻末に買った日と書店、読了日を書く癖がある。蔵書を整理すると日記を付けていたせいもあり、あの頃の自分の心情が蘇ってくる。
    「お前は何のために生きているんだ」
    受験勉強に追われながら毎日そんな問いを自分に突きつけていた。
    本を読む度にその世界に圧倒され、打ちのめされた。決して楽しい読書だったとは言えない。しかし、振り返ってみると高校時代の読書は今の僕を形成しているとハッキリと思う。大学に入って学生運動にのめり込み、挫折し、廣済堂出版に就職後、角川書店に移り、やがて幻冬舎を作った。
    その原点は清水南高の風と空と海、初恋に涙し、友人と議論し、読書に入れ上げた3年間にあると思っている。
    「月刊カドカワ」の編集長になった33歳の頃、親しかった楠田枝里子を清水南高や三保の松原、日本平に案内した後、高校時代によく通った清水銀座の「富士」という喫茶店に連れて行ったことがある。そこで紅茶を飲みながら彼女が言った言葉が忘れられない。
    「なるほど。この町であなたは今の見城くんになったのね」
    あの頃の僕を抱きしめたい気持ちだ。

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  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年2月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊「窓辺」に掲載された親父のコラム第7回『清水南高』。

    親父の投稿で度々登場する清水南高。親父の原点がそこにある。
    移りゆく季節の中で、悩み、考え、夢中になり、圧倒され、打ちのめされ、自問した日々。
    親父の原点、清水の風と空と海。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。