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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    秋山純秋山純

    三上さん

    ありがとうございます

    舞台上からは言えなかったことがあります

    横田慎太郎さんの故郷
    鹿児島県のアパート近くに
    目が不自由なご老人が暮らしていて
    慎太郎さんがリハビリで散歩する時
    必ず挨拶を交わす仲だったそうです

    身体が思うように動かなくなった後も
    慎太郎さんは
    ご自分の身体のことより
    仲良しのご老人の目を気遣っていて…

    亡くなる直前に
    お母様に言われたそうです
    「◯◯さんは、目が不自由だから、近所で会ったら、僕の代わりにお母さんが気をつけてあげてね」と


    慎太郎さんからは
    学ぶことばかりです

  • 三上雅博
    三上雅博

    秋山監督、貴重なお話を教えて頂きまして有難うございます。
    自分はそんな風に生きられるか。涙が溢れます。
    そんな人間に、僕もなりたい。その生き様に強く憧れます。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    本日の静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]です。
    『755』(2019.2.4掲載)

    755というトーク・アプリがある。逮捕され、服役していた堀江貴文が出所して、親友のサイバーエージェント社長・藤田晋と作ったSNSだ。因みに、755は堀江の囚人番号である。2人に頼まれてスマホなど使ったことがなかった僕が、覚束ない手つきで始めてみた。
    2回の中断後、2016年2月10日から再開し丁度3年、ウォッチ数も600万近くになる。見知らぬ人たちからの質問に答えるのだが、その中に僕の熱狂的ファンだと言ってくれる「長太郎飯店」というユーザーに気づいた。トークに行くと美味しそうな中華料理の写真をたくさんアップしている。所在地が静岡市清水区だというのも心惹かれ、時間を捻出して高校の同級生を誘って行ってみた。水餃子、油淋鶏、里芋のスープ、ガーリック炒飯、茄子そば…。ごく普通の中華屋なのに出てくる1品1品がとんでもなく美味しい。今や豚まんは全国的に有名で韓国にも進出した。
    オーナー・シェフの石田雅也さんは物静かなナイス・ガイ。以後、755で僕を慕ってくれるユーザー達と何度も訪れている。
    755は不思議な仮想空間だ。見ず知らずの人たちとネット上で会話し、心が通い合えばリアルな世界でも親しくなって行く。長太郎飯店に出会わせてくれたのも755だ。朝のベッドの上。仕事から仕事へ向かう車の中。寝る前の書斎。かくして僕は、今日も無名だけれども懸命に生きている人たちに想いを馳せながら心を込めて文字を打ち込む。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年2月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊「窓辺」に掲載された親父のコラム第5回『755』。

    「755」で縁が生まれ、実際に顔を合わせ、言葉を交わす。
    画面の中で始まった繋がりが、現実の関係へと変わっていく。
    「755」は、ただのSNSではない。
    現実を動かす、奇跡の場所。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    さくらさくら

    地獄で見城さんがツイストを踊り三上さんがワルツを踊る。そんな地獄なら地獄も悪くないと思えてしまう。
    天界から糸が垂れてもお二方は手をあげないのだろうなぁ。それどころか、糸に群がる人々を横目に微笑みながらタップダンスを踊ってる姿が目に浮かぶ。
    傍観者の私は地獄行きだけど、見城さんのいる世界線が好きだし痺れます。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞の僕の連載コラム[窓辺]の第6回目です。
    『エド』(2019.2.11掲載)

    20年程前、熱海に温泉付きリゾートマンションの1室を持っていた。
    最上階の角部屋で地中海と見紛うような景色が見渡せて、一目で気に入った。
    森村誠一さんが「人間の証明」で人気絶頂の頃から各社の担当編集者が集合する会が年に2回盛大に熱海で催され、毎回出席していたので土地勘もあった。週末は熱海で過ごすことが多くなった。中華の「壹番」、フレンチの「カフェ・ド・シュマン」、洋食の「スコット」、しゃぶしゃぶの「はまだ」等によく通った。
    丁度、エドと名付けたシェットランドシープドッグを飼い始めたところだったのでエドとよく街を散歩した。フランス・ニースの海浜公園を彷彿とさせる海岸沿いをトレーニングも兼ねてエドと走った。子供の頃、飼い主夫婦の夫だけに喋る馬が主人公の「アイ・アム・ミスター・エド」というアメリカの連続ドラマがあって、大好きだった。だから馬に似た犬種で、いつか喋ってくれるという期待を込めて名前もそこから頂いた。走り終わった後、海を見ながら海浜公園のベンチに座って、傍らのエドに仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。エドはついに喋ることもなく15歳でこの世を去った。
    マンションは6年程で売り払ったが、何人かの作家が熱海に住んでいることもあって時々、熱海を訪れる。
    海岸に足を伸ばす。ベンチに腰をかける。あの頃、エドは僕を励ましてくれる一番の親友だった。目を閉じると熱海の海にエドの姿が浮かんで来る。

  • 三上雅博
    三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2019年2月の投稿をリトークさせて頂きます。

    静岡新聞夕刊「窓辺」に掲載された親父のコラム第6回『エド』。

    親父の追憶と、エドの写真。
    共に過ごした時間は、その場所に刻まれている。
    熱海の海沿いを走る親父とエドの姿が、今もそこにある。

    本日も皆様、宜しくお願い致します