MiRAIのトーク
トーク情報MiRAI 修治修治 ちょい読みにくかったので、書き直して再アップ⤴️
映画ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのラストのシーンの、ヌードルスの笑顔の意味の解釈って、たしかにこの作品を劇場で観た当時はまだ子供だったから???ってなったけど、大人になって観れば大体「おそらくコレかコレか、まぁあるいはコレ」だろう、という自分の中では納得出来ていて、特に観た後にモヤモヤしたものは残らない。
中学生の時はそりゃモヤモヤが残った(笑)
監督のセルジオ・レオーネ自身も作品全体を通して「観た人なりに解釈してもらえば良い」と言っている。
ただこの作品って、セルジオ・レオーネは《意匠を凝らしすぎた作り》にしたキライはあると思う(苦笑)
でもそのおかげで、映画を観た人によって、様々な解釈が生まれ、それらを酒の席などで〝あぁだこうだ・・・〟と語り合う楽しみも生んだのだから《そこまで含めて監督の思い描いたひとつの芸術作品》と捉えるならば、セルジオ・レオーネはあの世で、ほくそ笑んでいるのは間違いないだろう(笑)
ただねぇ〜いくら映画撮った監督自身が「観た人なりに解釈してもらえば良い」と言っているといっても、明らかに間違っているトンチンカンな解釈や感想はダメでしょ😅
例えばネット上には・・・
◆この作品の後半部分は全てヌードルスの夢の中での幻想である・・とか
◆マックスは替え玉を用意して死んだ偽装をして(ここ迄は正しい解釈)ヌードルスに成り代わる事に成功した(オイ!なんでそうなる🤣?それは全然ちげーだろ‼︎)・・とか
もっと酷いのになると
◆ラストシーンで阿片窟に入って阿片のパイプを吸うヌードルスの事を、ベイリー長官(マックス)と35年ぶりに再会した後の続きだと勘違いしたままレビュー書いてる人(???青年・初老期の姿を監督は描き分けてるのに、オマエの目はどうなってんだよ😂?)
なんて、こんな酷いレビュー書いてる人もいたりして、流石に自分は驚いた😂
ところで自分は中学生当時、マックス(ベイリー長官)の最後の最後のシーンを観た時に、あまりに残酷なシーンだと思って震撼する程衝撃を受けてしまったのをよく憶えている😱
しかし・・・このシーンに関して、自分は当時ある1つの違和感をおぼえた。
どういう違和感かというと、どう観たって画面の中に登場するベイリー長官は〝ベイリー長官に見えなかったから〟という点。
ベイリー長官(マックス)だと観客に分からせたいのであれば、ベイリーがヌードルスの後を追いかける様な形で門から出てきたシーンで、カメラをズームしてベイリーのアップを映して、その時の表情などを写すだろう。
そんなシーンは無かったから、子供心にもアレ??って思った。
その疑問が解けたのは、つい数年前の事で、セルジオ・レオーネ自身のインタビュー記事を読んで〝あぁ、なんだ・・やっぱりそうだったのか・・・〟と長年の疑問が解消したし、まだ12、3歳でソレに気づけた自分を褒めてあげたかった😁
そしてこのシーンに関してだが、かつて自分が20代の時に、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカがどんな映画作品よりも最も好き!と言っていた歳上の友人がおり、その友人に半分冗談で「実はあのシーンは、実際はこうなんじゃないですかね?」と言った時に・・・
その歳上の友人は〝はぁ?〟と呆れた表情で「そんなわけないじゃないですか!」と、いかにも自分の大好きな作品を貶めないでくれ!と言わんばかりの表情で吐き捨てる様に自分にそう言ったのだが、自分がその時に彼に伝えた言葉・疑問点は、セルジオ・レオーネ監督のインタビューで、監督自身がその可能性も示唆していた事が分かり、自分は〝なんだよ、やっぱそういう可能性を含んでいたんじゃないか〟と胸のつかえが取れた気がした。
この作品で監督が観た人なりに解釈してもらって良い、と述べた箇所はおそらく主に5箇所ほどあるんだろうな、と自分は考えている。
自分は勿論好きな作品ではあるけれど、トップ10に入れるか?と聞かれれば、入れなくても良いかな・・・という程度に好きな作品だ😁MiRAI 修治修治 映画ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのストーリーの時系列は分かりにくくなっているので・・・
今この作品を観たことがない人又は観たけど〝なんか色々とよく分からない〟という人用に、この作品で監督が《観客の想像に任せよう》としていない部分に限定して・・・
つまり《実際にストーリー上で起きている事の明快な箇所・事実》だけをまとめたモノを今作っている。
要するにこの作品は、一つ一つの事件が起きた流れと、観客が目にするシーンがズレている。
ヌードルスの回想シーンにストーリーの大部分を割り振っているから。
これ読めば、なんかややこしくてよく分からない作品だったな・・なんて人は減るだろう(笑)MiRAI 修治修治 この映画で時系列をしっかり把握しようと思ったら、実は一番大事なのは今から書く部分
ここを正確におさえておかないと、ストーリーが夢オチだったんじゃないか?とか、なんか・・ごちゃごちゃして分からなくなっちゃったとか言い出す人がいるのも、まぁ不思議じゃない。
おまけにここを正確に把握しておくと、ラストシーンのヌードルスの笑みまで理解しやすくなるというポイント
シーンゼロだとか①っていうのは、実際に事が起きている順番であって、この映画を観た人が画面上で観ている順番ではないです。
↓↓↓
シーンゼロ:マックス達を軽罪で逮捕させて危険なヤマ(連邦銀行の襲撃/マックス発案で実行に移せば確実に全員死亡)から外させる為にヌードルスは密造酒を積んだトラックに乗るマックス達を警察に密告する(タレ込みの発案者はキャロルという事には一応作品中ではなっているが・・)
→雨の中でマックス達3人が警察隊と撃ち合いになってしまい、死体となっている場面が映される
何故かマックス1人だけ顔の識別が出来ないほど焼け焦げに(死んだ偽装だから)
ヌードルスはその不審な点に気づいた様な怪訝な表情
ただ気づいたけれどここでは〝??〟という程度の疑念
🔺当然この時点ではマックスの相当前から考えていたであろう壮大な絵図にはヌードルスは気づいていない
🔺(連邦銀行を襲うという誰がみてもトチ狂った自殺行為みたいなマックスの発案さえも実は・・・って可能性がある)
シーン①:映画冒頭のヌードルスの愛人のイブが、ヌードルスが仲間を売った事(警察への密告)への復讐で派遣された組織の殺し屋に殺される→モーが拷問されているシーン(モーは拷問されて、ヌードルスがいる阿片窟の場所を喋る・組織の殺し屋は阿片窟に向かう)→ヌードルスは阿片窟でアヘアヘになっており、夢の中でシーンゼロ(仲間の死)を思い出してうなされて起き上がる
シーン②:ヌードルスがうなされて起きたシーンで、組織の殺し屋が阿片窟に到着→常連のヌードルスは阿片窟の主人の機転で逃してもらい、モーの店に向かう→モーを見張っていた殺し屋を射殺して、モーに預けていた駅のロッカーの鍵を手に取りロッカーへと金を取りに向かう(モーに〝金は必要か?〟と聞かれたヌードルスは〝いや、唸るほどある〟と言ってモーに鍵を見せる。モーは〝全部お前のもんだ〟と伝える)
🔺金は全部お前のもんだ→とモーが答えたのはマックス・パッツィー・コックアイが警官隊との衝突で死んだ後の事だから
シーン③:ヌードルスが駅のロッカーを開けて、仲間達と稼いできた金の半分を貯めていた鞄の中を見ると、金は消えて何故か空の状態→呆然とするヌードルス(しかしヌードルスの頭の中には誰が金を奪ったのか、この時点ではハッキリとした事は分からないままに、組織の殺し屋の手を逃れる為にニューヨークの街を離れる)
ここからヌードルスの逃亡生活は35年が経過する(続く)- MiRAI
MiRAI 『「外見で得してる」に対する僕の考えをアンサーしておきたいです。』
中野優作|クルマって、楽しい。 (@yuusaku_buddica) on X https://x.com/yuusaku_buddica/status/1797176407342412273?s=12&t=Qu2GH0bDUcOpxlItCdQihQ MiRAI MiRAIMiRAI 当たり前だけど
明日も仕事ダ!
私はあまり聞いてなかったんだけど。懐かしいね。
HD THE MODS TWO PUNKS https://youtu.be/QfONMtiNlds