MiRAIのトーク
トーク情報- MiRAI
MiRAI 石原慎太郎さんの短編小説[処刑の部屋]のラストシーンを彷彿とさせる↑このトークに似たエピソードを昨夜新たにお伺いしました。しかし、三上さんの優しい人となりからは、全くそんなイメージを探し出せませんでした。私は、まずこのコントラストに衝撃を受けました。そして、極上という言葉すら陳腐に聞こえてしまう、三上さんの握られる寿司。あの舌触り、あの折り重なる風味が今でも消えないのです。
見城さんと三上さんによって、日本人の心、日本人の文化とはこういうものだという事が、あまねく発信されますように。世に提示され、刻み込まれ、後世まで残りますように。私が言うのは傲慢だとは思いますが、一夜明けた今、そう願うことしか出来ません。 MiRAI ちゅーそんちゅーそん 石原慎太郎著
[太陽の季節]、[灰色の教室]、[処刑の部屋]を再読。
処刑の部屋の冒頭の一説。
抵抗だ、責任だ、モラルだと、他の奴らは勝手な御託を言うけれども、俺はそんなことは知っちゃいない。本当に自分のやりたいことをやるだけで精一杯だ。
破滅の一途を辿るように私にはとれる竜哉、克己の行動は、読んでいる私からすると痛快で、エネルギーの塊を目の当たりにしているようで、今という一瞬を生きているのを実感できる。抗う、自分のやりたいことを貫く、貫いた先の代償を受け入れる。諦めの良さ。負け方。歳を重ねたいまの私には眩しく見える。
個体の掟を知る旅。
これからも石原慎太郎さんの文章を読み続けたい。- MiRAI
MiRAI 石原慎太郎さんの作品は、どれも私の心に影を作る。常識の枠など関係のない狂気の先に見えてくるもの。生死を超える一線すらものともしない個のアウトライン。お前は自分の個のアウトラインを曖昧にし、打ち消して生きてきたではないかと。何かと本気で戦ったことはあるのかと、私に訴えかける。
石原慎太郎さんの小説は、いつも結末で読み手を突き落とします。読み手は心を置き去りにされ、絶望させられ、途方に暮れてしまう。そんな置き去りにされた心が、石原さんの小説(特に初期)を読む度に一つまた一つと増え、実は“花弁の様にひとつの中心に連なっている(江藤淳さんの言葉)”ような感覚が生じてくる。
私も見城さんに出会えたからこそ体感し、まだまだではありますが掴みかけている気がしているレベルです。石原慎太郎さんの小説の力は凄いね!